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zoom RSS 給付型奨学金はいらないという議員の論理 (1)

<<   作成日時 : 2016/07/22 15:59   >>

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 6月市議会で、「給付型奨学金制度の創設を求める意見書」が賛成多数で可決された。
【参照リンク⇒給付型奨学金制度の創設を求める意見書の採決】

 7月の参議院議員選挙でも、与野党各党が「給付型奨学金」を公約に掲げていたから、もうこの制度の創設の流れは決まったと言ってよいのだが、久喜市議会30人の議員の中では7名の議員がこの意見書に反対した。

 彼らはなぜいまだに、『給付型奨学金はいらない』と考えているのか。
 21世紀に入って貧困と格差の拡大がこれほどに問題になっているのが見えない(見ようとしない)で、貧困を個人の問題で自己責任で解決すべきと考えているわけだ。

 彼らの論理を検証してみることは大いに意味があると思うので、市議会最終日(7月1日)に行われた意見書に対する質疑と反対討論を以下に見てみよう。

返せなくなったのは、借りた人の意識に問題があったのか

 まず平澤健一郎議員が行った、意見書案に対する質疑である。
 彼によると、現在の貸与型奨学金の実施主体である日本学生支援機構の調査で、返還が滞って延滞金が出ている人の中で「奨学金を借りる前に返済義務を知っていた人の割合はわずか49.5%で著しく低い。延滞督促を受けてから返済義務のあることを知った人が9.8%もいる。」と非難する。
 そこから彼は、返済を滞らせてしまっている延滞者は、お金を借りている意識に問題があるのではないかと、主張するのである。

 返せなくなったのは奨学金を借りた人が安易に無責任に借りたのだからで、借りた人が悪いのだと言わんばかりである。
 まるでサラ金地獄が社会問題になったころに言われていた、サラ金なんかを借りて返せなくなったのは、借りた人が悪い、自業自得だという論理と同じではないか。

 しかし実は、平澤議員によるこの調査結果の引用自体が、原文と違うねじ曲げられたものであった。
 平澤議員は「奨学金を借りる前に返済義務を知っていた人」が49.5%しかいなかったと言うのだが、調査結果の原文にはそのような文章はない。
 原文を引用したように見せて、実は原文の文章を違えて書いた、意図的にこのような操作を行ったのか。

 調査結果の原文では、返済義務を知った時期が「申し込み手続きを行う前」が49.5%、「申し込み手続き中」が12.9%となっているから、「借りる前に知っていた人」の割合は合わせて62.4%である。
 これらの人たちは、“返済義務も知らないで安易に借りたから返せなくなった”わけではなくて、返済義務を知っていて借りたけれども、その後の何らかの事情で返せなくなったのである。

 ということは、平澤議員の批判とは正反対に、、返済義務を知っていたかどうかは、延滞を生じたこととは関係ないのは明らかだ。
 借りる意識に問題があったから延滞金が発生したというのはこじつけであり、悪意による決めつけと言うしかない。

 だれだって(サラ金でさえ同じだと思うが)、借りる時には返せると思っているのだけれど、就職できなかった、非正規にならざるを得なかった、収入が思ったよりも少なかった、病気や失業や倒産、親の病気、等々の個人個人の事情によって返済が滞ることは起こりうるのである。
 それをすべてをいっしょくたにして、個人の意識の問題に帰するのははなはだ乱暴な決めつけである。

 さらにこの調査結果には、かなり不思議な数字がある。
 延滞者と無延滞者を合わせた回答者全体の中で、貸与手続きが終わる前までに返済義務のあることを知らなかった人が25%もいたことが明らかになっている。
 本人が返済義務を知らなかったというのは、親が申し込み手続きを行ったということも考えられる。
 本来は借りるのも返すのも本人なのだから、あくまでも本人に対して、返済義務のあることを周知するのが、貸す側の責任のはずだが、学生支援機構は貸与条件や返済方法などを本人に周知(確認)しないで貸してしまっているということだろうか。
 もしも本人に周知できていなかったとすれば、書類の型式だけ整っていたとしても、これは貸す側の対応にもいささかの問題があったということにならないか。
 審査や借金の条件を緩和して利率の低さをことさらに強調する、最近のサラ金のやり方を思い出してしまうではないか。

「大学が増えすぎたのがいけない」という評論の意味?

 平澤議員のもう一つの質問は、「大学全入時代にあって、大学の質の確保が問題になっている。就職難が問題になるのは大学が増えすぎたからではないか」というのである。

 彼は、“大学に行けばいい就職ができると思っても、大学の質が落ちているから、非正規になってしまう、奨学金などを借りて大学へ行ったことがそもそもの間違いだ、これも本人の自業自得だ”と言いたいらしい。
 しかしこれは、 貧困などは経験したこともない、金の苦労など知らぬ、恵まれた者の論理であり、強者の論理である。

 今や、"大学全入"に近くなっているからこそ、将来貧困に陥りたくないと考えて、多くの若者たちが奨学金を借りてでも大学に行くのだが、その思いがわからないか。

 実際、学生の2.6人に1人が奨学金を借りているという現実、そして返済できずに貧困に陥っている人たちがいるという現実を前にして、「大学が増えすぎたのがいけない」などという評論家めいた分析に何の意味があるのか。  《続く》

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