道路等の不具合通報システムの活用をお勧めします

 数年前から市議会で何度も、道路や公共施設等の破損などを市に通報するシステムを作るよう求めてきて、今年の3月から《道路等の不具合通報》システムがスタートした。
 以前のように、市役所に電話して、担当の部署がどこなのかわからなくて迷ったとか、たらい回しされることもなく、簡単に通報できるのがいちばんのメリットだ。
 また電話での通報では、うまく説明できなくて言いたいことが十分に伝わらなかったり、場所が特定できなかったりして困ったこともあったのだが、新たなシステムでは、GPS機能付きの写真を添付すればいいので、道路等の破損状況などが一目瞭然だ。
 市役所がお休みの日や夜間でも通報できるし、回答が欲しいというチェックを入れておけば、2~3日内には必ず担当課から返事が来るのもありがたい。

 というわけで、私はこれまでに、市道路面の穴、カーブミラーの破損、交通標識が曲がっている、道路のすきまから木が生えてきたなど、10件ほどの通報をしてきて、通報したすべての件に、速やかに対応してもらっている。
 最近は、市道や公園に、危険外来植物アメリカオニアザミが生えているのを見つけては、この通報システムを使って、駆除を依頼している。
 私自身が要求してスタートしたシステムということもあるが、大いに活用して役立てている。

 8月3日(日)には、久喜中央4丁目のイトーヨーカドー駐車場出口のガードレールが破損していたのを通報しておいた。
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 少なくとも数か月以上前からこの状態で放置されていたので、市の担当課職員は気付いていなかったのだろうと思われる。
 5日には、市の道路河川課から、次のような返事が来た。
『道路等の不具合通報いただき、ありがとうございます。
 8月3日(日)に通報いただきました、ガードレールの破損につきましては、本日、現場を確認いたしました。
 業者発注による対応のため、1か月ほどお時間をいただきたいと思います。
 今後ともご理解、ご協力の程、よろしくお願いします。』

 今日、現場を通りかかったら、ちょうど業者が、破損したガードレールを交換しているところだった。
 回答では1か月ほどかかるとのことだったが、意外と早く対応してくれたらしい。

 市民の皆さんも、大いに活用していただけたらいいと思っている。
【久喜市のホームページから】
【道路等の不具合通報】

請願の「趣旨採択」とは何か

 6月定例試技会に出されていた『菖蒲町栢間地区の町づくり活性化について』の請願は、6月28日の最終日の本会議で全会一致で「趣旨採択」とすることに決定した。

【参照⇒請願は趣旨採択となった記事へのリンク】

 本来、議案の採決は、「可決」「否決」の2つしかありえない。
 市長提出議案で、たとえば農業委員の任命の議案は、任命権限は市長が持っているので、議会は「同意」「不同意」という。

 請願の場合は、議会の多数が賛成しても、それで直接に請願項目を実現できるわけではなくて、請願者の意志に議会が賛意を示したという意味になるので、賛成多数なら「採択」、少数なら「不採択」となる。
 したがって、請願に対する議会の意志決定は、「採択」「不採択」「継続審査」「審議未了」のいずれかしかない。
 それでは「趣旨採択」とは何か。

 まず、6月19日に、この請願を審査した総務財政市民委員会で、質疑が終結した後に、共産党の渡辺委員から「この請願を趣旨採択とするよう求める」動議が提出された。
 動議というのは、議事の進行の過程で議員から行われる提案であるが、この場合は、請願の採決にあたって、「採択」「不採択」で諮るのでなく、「趣旨」の採択を諮って欲しいと提案したのである。
 それではなぜ「採択」「不採択」で結論を明確にするのでなく、「趣旨の採択」を諮るように求めたか。

 まず、この請願が求めた政策事項は、
1.菖蒲町栢間地区における農地法、都市計画法、その他各種関連法の規制緩和
2.菖蒲町栢間地区の土地区画整理事業の実施
3.埼玉新都市交通(ニューシャトル)の延伸
である。
 しかし、これらの実現がいずれもきわめて困難または事実上不可能であろうことは、執行部にとっても、議員にとっても最初から明らかであった。
 そして、委員会審査を通じてかえって、困難または不可能であることがますます明確になってしまったのである。
 もしも請願者の意に沿って、その請願事項を実現しようとするのであれば、委員会の委員はあくまでも請願を「採択」するように主張し、それに沿って開発促進を執行部に求めるべきであった。
 しかし委員会のだれもそういう主張はしなかったということは、困難だけれども何とか実現させようという主張すらしなかったということになる。

 一方で、「地元の栢間地区の皆さんの抱える高齢化や地域の住民の減少、少子化、農業の後継者不足、地域環境の荒廃などの困難は理解できる」(渡辺議員の動議の説明)ので、むげに「不採択」とするのも気がひける。
 したがって、委員会では全議員が、請願事項の実現性はほとんどないことはわかっていたはずだが、それでも有権者である請願者の顔を立てて「不採択ではない」という含みを持たせるために、便法として「趣旨採択」に賛成したのであった。
 最終日の本会議では、議長が「委員会の結論は趣旨採択です。(本会議でも)趣旨について採決します。委員長報告通り、趣旨採択とすることに賛成の議員はご起立ください」とやって、全員が起立して「趣旨採択」となった。

 ただ、趣旨採択とするよう求めた動議で、「多岐にわたる高度な内容であり、十分な検証・検討をしなければならない」という理由が述べられていたが、それならば十分な検討をするために「継続審査」とすべきであった。
 実際には継続しても困難または不可能な事情は変わらないので、「趣旨採択」で逃げたわけだ。

 法に規定された議会の意志決定としては、「趣旨採択」というのはあり得ないので、「趣旨採択」は法律上、行政に対して何らの効力も持たない。
 議会としては、「採択」してしまうと政治的責任が出てくるので、実現しなくてもやむを得ないというくらいの意味で「趣旨採択」という便法を使ったと言われても仕方あるまい。
 
 議会運営についての解説書、たとえば「議員必携」には、「請願の採択にあたっては、議員同士の体面とか、義理といったものにとらわれず、実現まで相当の期間を要し、困難と認められるものについては「不採択」と割り切り、総花的に採択することのないよう、慎重であることが、最終的には、住民の信頼を得ることになる」と記載されている。
 私自身は議会運営の原則に則って、原則的立場としては、実現が困難なのだから「不採択」とすべきだと考えていて、採決の直前まで迷ったのだが、結果的には他の全議員といっしょに起立して賛成した。
 「趣旨採択」とは結局はごまかしの結論であって、私自身も原則を外してこれに同調してしまって、果たしてこれで良かったのかどうか、我ながらいまだに疑問を引きずっている。

同性パートナーシップ制度に反対する議員の論理

(1)
 久喜市議会で、LGBTなどの性的マイノリティの問題を継続的に取り上げてきた。
 これまでに、差別解消の問題、市の相談体制の充実、小中学校における児童生徒への人権教育と相談、“だれでもトイレ”の設置、中学校の制服選択制の採用等々について、具体的な行政の取り組みを引き出してきた。
 2月市議会の一般質問で、同性パートナーシップ制度導入に向けた取り組みを求めたのに対して、当局から2年後に制度導入の方針を決定するという期限を切った目標が示され、そのために来年度に市民意識調査を実施する計画も示された。

 昨年の11月議会では、市長が「この制度を導入することが、性的マイノリティーの方々が自分らしく生きられる社会の実現につながるもの」であり、「この制度を導入することで人々の意識を変えるきっかけになる」と答弁していた。
 また、全国の各自治体における制度実現の流れも踏まえれば、久喜市でも制度導入の方針を明確にすべきであろう。
 残念ながらいまだに、久喜市で制度を導入するという方向性は示されていないが、具体的な検討に入ったことは一応評価できると考えている。

(2)
 久喜市のこうした方向性に対して、6月議会で、平沢議員が「反対」の立場から質問を展開した。
 彼の論点は以下の通りである。
 『性的マイノリティーの抱える問題や不便・不利益は、既に対策がとられている。課題の多くは現行法で対応可能である』
 『性的マイノリティの認知度が市民の4分の1であり、市民の理解が進んでいないので、制度導入は時期尚早である』
 『いったん立ち止まって、どの程度必要か、悪影響はないのか慎重に検討するべきである』

 平沢議員なりに慎重に、「反対」という言葉は避けていたのだが、『性的マイノリティの人々の生きづらさや、制度がないことによる不利益は現行法で対応が可能だ』と決めつけて、『時期尚早』『拙速』と連発していたことからすると、彼の主張は、“制度の導入は必要ない”、“反対だ”と言いたいのだと解する他ない。

 これに対して総務部長が、それぞれの不便や不利益について『現行法での対応は難しい』と答弁していたのはまったく正しいし、その答弁に対して、平沢議員も特に反論はしなかった。

 また、平沢議員は、パートナーシップ制度の導入で、千葉市などが異性カップル(事実婚)も対象としたことについて、『婚姻制度を形骸化させ、家族のあり方に大きく影響するものだ』と強調した。
 これに対しても、総務部長が『ご質問のような影響は限定的なものである』と答弁したのもその通りだろう。

 むしろ、平沢議員の“事実婚を認めることが婚姻制度を形骸化させる”という主張は、平沢議員が “事実婚は夫婦と認めない” と宣言したことになる。
 いまだに昔の “家” 制度にとらわれていて、婚姻関係の多様なあり方を認めないということであろうか。
 [蛇足だが、それを言うなら、昔々の大物政治家の中には“二号さん”を作っていた人がたくさんいたと聞くが、それこそが婚姻関係を形骸化させていたのではなかったか。]

(3)
 問題は次にある。
 平沢議員が、『実際に久喜市において、性的マイノリティの方々にどんな問題点があって、どうしたら解決するのか。性的マイノリティの方の意向はつかんでいないのか』と質問したのに対して、部長は次のように答弁した。
 『来年度に予定している市民意識調査の中で、当事者がどんな問題、課題があるのか、当事者の声も聞くような調査を考えている』『久喜市における性的マイノリティの状況も調査していく』『まだどんな調査するか決まっていないが、当事者の方にも配慮した設問内容や、当事者が答えられるような調査方法についても検討していく』というのである。
 どういうことか。

 市はこれまで性的マイノリティの人権保障についての市民啓発に力を入れてきたのだから、市民意識調査を行うのであれば、その啓発活動によって、性的マイノリティの人権に関する市民の理解がどれくらい進んできたかを調査すると理解するのが自然である。
 しかし、部長は市民意識調査の中で、性的マイノリティの当事者の方々の状況も調査するのだと言う。
 性的マイノリティの人権に関する市民意識調査と、性的マイノリティの当事者の方々の状況調査を同時に行うことが果たしてできるのか。

 これまで久喜市で行ってきたさまざまな市民意識調査は、無作為抽出によるせいぜい数千人のアンケートであった。
 今回の調査も、一般的な市民意識調査に、性的マイノリティの当事者の状況調査の項目を織り交ぜて実施すると考えているらしい。
 ということは、市は市民意識調査のアンケートで、「あなたは性的マイノリティですか」「困っていることはありますか」「久喜市で同性パートナーシップ制度導入を求めますか」という設問を設けるのだろうか。
 そのアンケートで、当事者に「自分は性的マイノリティである」とカミングアウトさせて、本人が何に困っているかを書くように求めるのだろうか。
 それを集計して、性的マイノリティ当事者の意見はこうだったと結論を出すのだとしたら、安直に過ぎよう。

 性的マイノリティ当事者の方々の調査を行うというなら、当事者の人権相談やカウンセリングに携わってきた専門家による関与と分析が不可欠である。(もしそこまでやるなら、全国初の画期的な調査となろう)。
 たとえば障害者の状況を把握しようとする場合、障害者団体に依頼したり、あるいは市のケースワーカーが障害者当事者から聞き取るという、ていねいな調査によって、はじめて率直な当事者のなまの声を聞くことができる。
 多くの性的マイノリティの方々は、現実にはあまり目立たないようにして暮らしている方が多いと思われる。
 そうした方々が、たとえ匿名であっても、市民アンケートで当事者がカミングアウトしてくれると思っているのか、あるいは逆に、その匿名の回答が信用できるのか。
 そのような当事者のカミングアウトを求めるようなアンケートは、人権侵害にすらなりかねない。

(4)
 平沢議員は質問の中で、性的マイノリティの方々が8.9%いるという調査は信用できないとし、1%という調査もあると述べた。
 はたして性的マイノリティの方々が人口の何%いるか、正確な調査はないというのが事実であって、調査の仕方や性的マイノリティのとらえ方によっても違ってくる。
 したがって当事者が何%いるか、それ自体が問題なのではなくて、この社会の中に一定の比率で必ずいるという事実を認めることから始めなければならない。
 8%か、1%かという議論は、“ごく少数だから問題にならない”“少数者の人権を問題にする必要はない”という議論につながっていかざるをえない。

 一方で、同じ日の私の質問に対して、総務部長からは次の驚くべき答弁が飛び出したことも触れておかねばならぬ。
 同じ日に私は、パートナーシップ制度の実現を求める立場から質問をして、何回かの質疑答弁の中で、総務部長は『久喜市の中にもそういった方がいるかどうかも含めてわからない状況ですので、多分いらっしゃるということなのですが、…』と口走ったのである。
 この答弁からは、総務部長が当事者の市民に会ったことがないから、“いないかも知れない” と思い込んでいて、そこから “いるか、いない か、わからない” と発言したらしい。
 平沢議員に対して、当事者の調査を行うと答弁したのも、もしかしたらいないかも知れないから調査が必要だと思っているのだろうか。

 しかし、“いるか、いないか、わからない” のではなくて、行政としては、“いる” ことを前提としなければならないはずだはないか。
 これまで差別偏見の中に置かれて、声を上げられないでいる当事者の皆さんがいるのであって、声を上げられるか否かは問わずに、久喜市がそうした方々の人権が保障する制度を作っていくことが求められているのである。

(5)
 平沢議員は質問の中で、久喜市で中学校の制服(スカートかズボンか)の選択制を認めたことについても次のような批判していた。
 サイズが合わなかったらどうするのか、性的マイノリティの方は男か女かはっきりわかるような服装をしたいはずだ、ファッション関係で優れている人が多いので“中性的な服装”は好まないなどというのであるが、彼の質問の意図がよくわからない。
 何らかの先入観にもとづいて、性的マイノリティの人々はこういうものである、こういう好みを持っているはずだという枠に当てはめたいらしいが、マイノリティであるかどうかにかかわらず、人の好みはいろいろであって、まわりで勝手に推測も決めつけたりもできるものではない。
 だから多様性というのだが、彼にはどうしてもその多様性が理解できないでいるらしい。

(6)
 最後に、最大の問題は平沢議員の『同情論で拙速に制度導入を決めるのは正しいことなのか』という発言である。
 彼は、性的少数者の人権の問題、なかんずく同性パートナーシップ制度を導入することを『同情論』と認識しているらしい。
 しかし、「かわいそう」という同情論は、それ自体が上から目線であって、人間対人間の対等な関係とは言いがたい。

 同和問題、障害者、アイヌの人々、外国人、HIV感染者、犯罪被害者、拉致問題等々と同じように、性的少数者の問題も、同情論から問題になってきたわけではない。
 それぞれ違いを持ったそれぞれの人間の、多様な人格をお互いに尊重するという『人権保障』の問題であることを明確にしなければならぬ。

参議院議員選挙の期日前投票所は従来と同じ

 6月市議会の補正予算に、7月の参議院選挙と8月に行われる予定の知事選挙の経費が計上された。
 これまでも、開票作業の迅速化と、学生アルバイトを大々的に募集して活用するように質問した。
 答弁は、開票作業の終了目標時間は、選挙区が11時30分、比例区が午前1時、知事選挙は夜の9時50分と答弁された。
 参議院選挙の開票終了目標がかなり遅いが、一応の目標を立てて取り組んでいることはわかった。
 近隣の市では、蓮田市の開票がきわめて早いことで有名なので、今回の結果を見た上で、比較してみたい。
 その上で、蓮田と久喜と、開票作業の取り組みの違いはどこにあるのかを分析してみよう。

 学生などの選挙サポーターは、6月18日の時点では、投票事務が7人、開票作業はわずか5人にとどまっていた。
 開票サポーターは、19時30分~10時30分の3時間で4000円の謝礼しか出さないことになっているが、夜間の作業にしては、賃金が安すぎると言うしかない。

 もう一つ、期日前投票所の開設場所を増やすように求めたのだったが、開設場所は、市役所と各総合支所、その他にモラージュ菖蒲と久喜駅西口のクッキープラザを予定している。
 総務部長が、モラージュ菖蒲はこれまでと同じ3階のロビーだが、クッキープラザはこれまでは5階だったが、エレベーターでしか行けなかったので、エスカレーターで利用できる3階に設置することにした、と少し利便が良くなったという答弁であった。

 もっとも総務部長の答弁を素直に聞いて改善されたと思いこんだ理解は、少し違った。
 私はてっきり、クッキープラザ3階の投票所設置は参議院議員選挙から実施できるのだと受け取ったのだが、私の勝手な思い込みだったことが今日、わかった。
 市のホームページで、期日前投票所のお知らせを検索してみたら、クッキープラザ5階となっているではないか。
 あわてて、総務部長の答弁を確認してみると、『エスカレーターで利用できる3階に設置する』と述べた後で、『知事選挙から実施する予定』とさらっと付け加えていたではないか。
 その最後の肝心な付け足しを聞き逃して、参院選から改善が進んだと思い込んだ(思い込まされた)のは、私もまだまだ甘いのかも知れない。

エレベータ設置は大きなミス!?

 安倍の、大阪城復元の「大きなミスはエレベータを設置したこと」という発言は、いったい何だったのか。
 これは、文化財を元々の形のままで復元させることが大事だという文脈の中で語られたことである。

 その後、萩生田幹事長代行が「首相が、『障害者や高齢者に不自由があってもしょうがないと聞こえるような発言をしたことは遺憾だ』と語った」と釈明をしている。
 まるで他人ごとのような語り口であるが、安倍が自分で釈明しないで、萩生田に伝言の形で言わせるというのも腑に落ちない。
 安倍は、自分では謝りたくない、権力者は謝罪してはいけない、謝罪したらつけ込まれると考えているのだろう。
 萩生田は、「首相が『バリアフリーに異を唱える発言ではない』と語った」とも付け加えているが、それらの言い訳は萩生田による伝聞だから、安倍が本当にそう語ったのかどうかは密室の中のことであってわからない。

 いずれにしろ、文化財の復元・観光と、バリアフリーという人権保障の問題に関する、安倍のホンネが出たと言うしかない。

 そう言えば、この間の安倍内閣の閣僚や自民党議員たち、官僚たちの一連の失言や暴言も、彼らのホンネの吐露であった。

安倍のヤッタフリ、張りぼて外交

 このブログで、国政の課題を扱うのは避けてきたのだけれど、安倍のカッコだけつけて何の成果も生み出せない、“ヤッタフリの張りぼて政治”にはうんざりだ。

 G20大阪で、いったいどのような成果が上がったのか、ホスト国として議長を務めた安倍が、何らかの有効な合意を作ることができたのか、何かをとりまとめることができたのか、まったくわからない。
 今、国際関係で最大の課題は、アメリカをはじめとした“自国第一主義”という行動基準に対して、世界各国の利害を調整した上での平和協調のルールを構築することができるかどうかである。
 ところが結局は、保護主義に対抗する国際的な共通認識さえ確認することができなかった。
 安倍は、トランプに最大限の忖度をして、議論をリードすることも、議長国としての責任もまったく果たすことができなかった。

 それどころか、安倍・トランプ会談の後の記者会見で、「8月にはアメリカにとって素晴らしいニュースが発表できる」とばらされてしまい、安倍は否定も肯定も、何の言い訳もできなかった。
 トランプに対して、「参院選の前だから今だけは言わないでおいてほしい」と頼んだらしいが、どのような密約をし、あるいはどんな言質を与えたのだろう。
 後から官房長官が、何の密約もないと言い訳したが、そうすると、トランプがウソを言っていることになる。
 しかしトランプのご機嫌を損ねることもできないから、黙ってそのまま受け入れるしかない。

 安倍は少なくとも政権前半において、“世界を俯瞰する外交”“外交の阿倍”を自認してきた。
 しかし本当に外交で、国民が納得するような何らかの成果を上げたことがあるか。
 世界各国を股にかけて飛び回り、ただ“円”をばらまくことによって、日本との協調を演出してきただけではなかったか。

 トランプに対しては、言われるがままにイージスアショアを買い、100機ものF35の購入すると約束してしまった。
 F35100機の購入代金の1兆円は、言うまでもなく国民の税金であり、消費税増税分の3分の1~4分の1にも達する。
 トランプに言われるがままに、湯水のように税金を使って歓心を買う接待外交は、見ているだけで恥ずかしくなるではないか。
 トランプがジャイアンであり、安倍はジャイアンに媚びへつらうスネオそのものである。

 それにしても、トランプに頼まれたのか、あるいは自分から買って出たのか知らないが、イラン訪問はまるで“子供の使い”だった。
 ただのメッセンジャーボーイとしてイランまで出かけていったはいいが、最高指導者に会えたもののまったく相手にしてもらえず、トランプの伝言へのまともな返事ももらえなかった。

安倍は拉致問題を解決できない

 そんなことよりも、安倍には、政治生命をかけて果たさなければならない、国民への約束が2つあったはずだ。

 第1は北朝鮮による拉致問題の解決である。
 北朝鮮に対しては、政治的経済的な圧力を最大限にかけることによってこそ、拉致問題での譲歩を引き出せるはずであった。
 いわばキム一族による北朝鮮独裁国家、それは人民への抑圧体制でしかないーーを揺るがせるほどの外交圧力を行使することである。
 世界を飛び回って各国首脳との会談を行い、国民の税金が原資の“円”をばらまくのであれば、北朝鮮包囲網を構築しようと各国諸脳を説得することが最大の課題であったはずだ。
 しかし現実にはそうした包囲網はできないで、いまだに世界100数十カ国が北朝鮮との国交と貿易関係を維持している。
 これでは北朝鮮が、日本に対する譲歩を余儀なくされるほどの国際的圧力とはほど遠い。
 北朝鮮にしてみれば、中国やロシア、さらにはトランプとだけ友好関係を作っていれば、キム体制は安泰なのだから、安倍を相手にする動機も必要もないことになる。
 こんな状態で、安倍が「いっさいの前提条件なしでキムと話し合う」と言ったとしても、相手にされないどころか、逆に、戦争中の賠償問題を持ち出されるのが落ちであろう。

 ただし断っておくが、私は、日本は北朝鮮における戦時性奴隷や強制連行・強制労働の問題を誠実に謝罪し、国家補償を行うべきであると考えている。
 しかし謝罪し、補償すべきは、現在の北朝鮮におけるキム独裁体制に対してではない。
 キム独裁体制から開放された後の、北朝鮮の国民に対してである。
 その日が早くやってくるためにも、現在の北朝鮮のキム独裁体制に対して最大限の国際的圧力をかけ、拉致問題の解決を急がせなければならない。

ロシアとまともな領土交渉もできない

 安倍の外交における政治的責任の第2は、いわゆる北方領土問題の解決とロシアとの平和条約の締結である。
 4島返還を求めていたはずが、いつの間にか2島先行返還になり、2島返還になり、最近ではそれずらも怪しくなってきた。
 安倍はロシアとの交渉の失敗を取り繕うために、4島での日ロ共同経済活動でいい、それでも大きな前進だと言い始めている。

 実際には、北朝鮮ともロシアとも、まともな話し合いすらできていないということだろう。
 北朝鮮に対する国際的な包囲網も、有効な圧力もかけられず、ロシア・プーチンからは適当にあしらわれ、トランプからはちょっと脅せば何でもいうことを聞く(自分から貢ぎ物を差し出す)、そんな国家が、中国やアジア諸国からも、欧州やEU諸国からも、本当に信頼を得ることはできない。

執行部からもう一つ、議会運営の変更提案

 6月6日に、市の総務部長から各会派代表者に電話で、一般質問の答弁に仕方の変更を一方的に通告し、押し通してしまったことはすでに書いた。
 実は総務部長の電話では、議会審議の変更についてもう一つ、委員会審議について変更したいという提案があった。

 常任委員会では、基本的には部長と課長が答弁している。
 市長や教育長は委員会冒頭に、『質疑には適切にご答弁しますので、よろしくご審議の上、速やかにご議決いただきますようお願いします』とあいさつだけして退席するのが通例である。
 もちろん基本的には市長や教育長は庁内に控えていて、審議過程で部長でも答弁できない政策的な議論で、議員から要請があれば、市長が委員会に出席して答弁することもある。

 委員会の開催にあたって、課長以上に出席要請を行い、委員の質疑に対して課長以上で答弁することになっているが、実際には委員の質疑に課長以上だけでは対応できないことが多い。
 したがって後ろの方に各課の係長や担当者が控えていて、課長に資料を渡したり、時には答弁に窮した課長が後ろを振り向いて聞いて答えたりもする。

     委員会は課長以上だけで対応するという提案

 総務部長の提案は、今後は委員会に係長以下は出席しないことにして、課長以上だけで答弁するように変更するというものであった。
 変更する理由は、係長以下の職員は担当部署で日常業務があるのでそれに専念させるということと、委員会が時間外までに長引いた場合には、当然ながら管理職以外には超過勤務手当が発生するのだが、それを節約したいということである。

 しかし、これまでの現実の委員会審議で、課長が答弁できずに、係長以下の担当者に聞きながら答弁するなんてことがしょっちゅうあったのに、急に係長以下がその場にいなくなったら、委員会審議が成り立たなくなるのではないか。
 私を含め、他の会派代表からもそうした懸念が示されたらしい。
 それに対して総務部長は、「課長のスキルを高めてしっかり答弁させるからだいじょうぶ」と答えたのだったが、課長のスキルがそう簡単に上がるわけもなく、「私はその変更には反対だ」とはっきり伝えておいた。
 その後にもう一度総務部長から電話があって、「委員会の出席者の件は再考することになった」という回答であった。

     委員会運営の現実はそんなものではない

 委員会は本会議で大綱的に審議した議案について、詳細な質疑を行うのであるが、課長以上が責任を持って答弁しなければならないというのは大前提ではある。
 しかし現実には課長が答弁できなかったり、時には間違った答弁をしてしまうこともままあって、後ろの係長から耳打ちやメモが回ってきて、訂正したりすることもたびたびある。
 課長の答弁が明らかに違っていて、混乱して何度も言い直して、結局、審議をやり直しなんてこともあったりしたのだ。
 課長が業務内容を把握していなかったり、係長が資料を持ってきていなくて、「答弁を保留」しておいて、担当部署に問い合わせて数時間後にやっと答弁できたなんてこともあった。 

 現在は、係長以下が後ろに控えているからその場で対応できるのだが、そこにいないとなったら課長以上だけでではとてもじゃないが、頼りないことこの上ない。
 「保留」「保留」の連続で、委員会審議が滞り、これまで以上に大幅に時間が必要になるであろうことは目に見えている。
 久喜市議会の委員会でよりていねいに審議を進めるためにも、係長以下の担当者を控えさせておくのは、むしろ必要なことであろう。
 何でもかんでも“効率化”や“時間の節約”が常に良いことであるとは限らない。
 それが審議の形骸化や、かえって時間のロスをもたらしたりするのである。

 6月議会の途中で、執行部からなぜ急に、議会運営の変更がいくつも持ち出されてきたのか、はたして議会運営の効率化を大義名分に、議会対応の手抜きを進めようとしたのではないかという疑念が浮かんでいる。

 最近、市民から『新しい市長はどうですか』という質問をよく受けるのであるが、市議会と市長の対等な関係を基本として、今後も緊張関係を持って対峙していきたいと思う。

執行部が答弁の仕方を一方的に変更した・続編

  7日から始まった一般質問で、執行部が答弁の方法を一方的に変えてきたことはすでに書いた。
 これまでは各質問事項ごとに担当部長が答弁しているので、細かい質問事項ごとに各担当部長が入れ替わって答弁席に立たなければならなかった。
 それが非効率的だというので、一つの質問事項の中で2つ以上の部にまたがる場合であっても、1人の部長がまとめて答弁することにしたというのだ。
 具体的に答弁の流れがどうなるのか、きちんと説明もないままに、“試行”ではなくて、執行部の方での“決定”として、実施することにされた。

 こうした変更を、一般質問スタートの前日に、総務部長が各会派代表に電話で“通告”してきただけであったから、各会派とも議員間の共通認識もできない中での見切り発車であった。
 しかも、総務部長の各会派代表への電話での説明も、各代表者の受け取り方も、どうもニュアンスが微妙に異なっていたようで、私を含め、各会派の代表者の間でさえ共通認識ができていたとは言いがたい。

 事実上、議長が独断で認めてしまった形で7日の朝から実施されたのであったが、さすがに議場がざわつきだして、午後1時から、急遽、議会運営委員会が招集された。
 議運の場では、こうした執行部の一方的なやり方に対する異議も出て、議長が市長に申し入れを行い、それに対して、翌日の朝までに、市長からの回答があった。

 市長名による回答の内容は以下の通りである。

          -----------------------
 市政に対する質問(一般質問)に対する答弁の効率化(一括答弁)について

 これまで、各議員の皆様からの市政に対するご質問につきましては、原則、関係する所管部長がそれぞれ答弁を申し上げていたところでございます。
 しかしながら、これまでの答弁では、質問の大項目ごとの答弁が複数の所管部に分かれる場合は、答弁にあたっての所管部長の登壇回数が多く、答弁までに時間を要してしまうことや、答弁の内容が前後することなどの状況がございました。
 つきましては、働き方改革の視点等も踏まえ答弁の効率化を検討した結果、令和元年6月定例会から、下記のとおり対応させていただくこととします。
化を図った内容について
 答弁の状況等により、大項目ごとの答弁のなかで、初回の答弁のみ所管以外の部長が所管部長に代わり一括答弁し、登壇回数を減らし答弁時間の短縮を図るとともに答弁内容が前後することなく伝わるようにします。
 ただし、再質問については、従来どおりそれぞれの所管部長が答弁します。

2 答弁の状況等による対応とは、原則次のとおりとします。
(1)数の報告や現状報告のみを答弁する所管部長がいた場合には、所管部長に代わり同大項目の中で、他の答弁をする部長が一括して答弁します。
(2)所管以外の答弁をする部長は、答弁の冒頭にその旨を述べてから答弁します。
(3)次の内容は一括答弁とせず、従来どおりとします。
 ・事業内容が異なる場合の答弁
 ・教育部など行政委員会に関する答弁

 回答の最後に、「今後の対応について」という項目があって、「今後の対応については、より明確なルール化を検討し、事前に議員の皆様に知らせていく」と書かれている。
         -----------------------


 要するに、質問項目の中で、部長が他の部長の管轄の事項について
 「数の報告」と「現状報告のみ」を答弁する場合に一括答弁とする、 「事業内容が異なる場合」の答弁は一括答弁としない
ということである。

 これがその基準通りに運用されるのであれば、1回目の原稿を読むだけの答弁であるから問題はないのかもしれない。
 そうであれば、事前に「この基準」を議員に説明して、当局も議員も共通の理解に基づいて実行するべきであった。
 ところが、今回は、この「基準」の説明は事前にはなく、総務部長の電話では、単なる「別の部長の所管に関わることであっても1人の部長がまとめて答弁する」という、文字通りの機械的な一括答弁という説明だった。
 このように、執行部が決めて議会側には通告だけして、「あとはお任せください」というやり方が、疑念を生み、不信感を増幅させたのである。

 この新たな基準に基づいて、すでに今日、一般質問3日目を迎え、20人の議員の質問を終えたのであるが、実際に何人かの議員への答弁で「一括答弁」が行われた。
 はたしてそれらの答弁が、本当にこの基準通りに行われているか、「数の報告」や「現状報告のみ」に限定されているか、あるいは基準を超えて、「一括答弁」が政策的な説明にまでなし崩し的に拡大運用されていないか、あとで検証してみなくてはなるまい。

議会運営を執行部が一方的に変えようとした

 6月7日(今日)から一般質問が始まった。
 その前日(昨日)の午前中に、総務部長から電話があって、一般質問の答弁の仕方を変更したいので、各会派の代表者に連絡しているのでご了承願いたいという。
 
 一般質問は今議会では25人が事前通告しているが、本会議における各質問事項への答弁は当然であるが担当部長が行ってきた。
 1つの質問事項の中で2つ以上の部にまたがる質問通告があった場合、これも当然ながらそれぞれの担当部長が答弁してきた。
 それを今回から、1つの質問項目の中では他の部の管轄事項であっても、1人の部長がまとめて答弁することにしたいのだという。
 たしかに、1つの質問事項で、ちょっと他の部の管轄に触れるという程度の関連事項であれば、1人の部長がまとめて答弁しても差し支えないこともあろうと思う。
 しかし、どの程度の関連事項までを1人の部長がカバーするのか、それを執行部が一方的に判断してしまっていいのか、それが答弁者の通告いとと乖離してしまう場合もあるのではないか。
 質問通告によって、いろいろなケースが考えられるのであるが、すべてのケースを一律に1人の部長の答弁で終わらせてしまっていいのかどうか、判断がつきかねる場合もある。

 今回、総務部長が答弁の仕方を変更したいと行ってきた理由は、部長が入れ替わって答弁を交代することによる時間のロスを減らしたいということらしい。
 しかしこのような答弁の仕方の変更を、執行部だけで決めて、「変更します」と通告して済ましてしまうやり方はあまりに一方的に過ぎる。
 議会の進行は一義的に議長が判断して決定することであり、判断がつかなければ議運などで協議して議会の意思で決定するのが原則である。

 私が「それは市で決定したのか」と問うたのに対し、部長は「いえ、決定ではなくて、とりあえずやらせていただきたい。もし問題があればまた変更も検討したい」と答えたので、「それなら試行ですね」と確認すると、「試行ではない。そのようにやらせていただきたい」と同じことを繰り返す。
 「とりあえず…」と言いながら、「試行ではない」と言うのは論理矛盾であるし、執行部が議会への対応を変えるのなら、それは本来なら議運に諮るべきことがらであって、一方的に行政側が決定して議会に押しつけるのもスジが通らない。

 しかも、翌日からの一般質問の対応について、前日に各会派の代表者だけに電話で連絡して済ましてしまおうというのは、議会側で協議する時間的余裕を与えずに、行政が議会をコントロールしようという意図さえ感ぜざるを得ない。
 各会派で他の議員にどれだけ徹底できたのか、いやそもそも全議員に連絡することができたのかも不明である。
 実際、翌日の朝に他の会派の議員に聞いてみたら、かなりニュアンスが違って伝わっていた。

 私は部長に対してはっきりと、そのようなやり方は問題だと指摘したのであるが、行政が議会を軽んじていることは明らかであり、議会の主体性が問われているといえよう。

 さて、この問題について、午後1時から議運が開かれて協議されたが、執行部の恣意的なやり方をこのまま認めるわけにはいかないという雰囲気である。
 これから議運委員長報告の後、議長が執行部に申し入れをすることになった。

久喜東中学校の体育祭に行きました

 昨日、6月1日は地元の久喜東中学校の体育祭で、私は来賓として開会式に出席してあいさつをしました。
 朝の内は雲が多かったのですが、8時半を過ぎると太陽が顔を出し、ぎらぎらとまぶしく暑くなっていました。
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 どこの学校も、生徒はみんなテントの下にいるようになりましたが、東中はテントが足りず、青葉小、青毛小、三箇小からもテントを借りてきていました。
 テントくらいはちゃんと予算を確保して、学校で整備した方がいいと思いました。
 
 昨年までは、開会式が始まると議員や区長や民生委員などの来賓もテントの前に出て並んだのでしたが、学校側で気を遣ってくれたのか、出ようとしたら「そのままで」と言われて、ずっとテントの中に座ったままでした。
 日の丸掲揚の時にはさすがに座ったままではカッコが付かず、来賓の半分くらいがテントの中で起立していました。
 私は毎年、「国旗に注目ください」というアナウンスは無視することにしているので、今年も着席したままでいました。

 開会式が終わって競技開始の前に、先生方がホースを引っ張ってきて校庭に水を撒いていたのですが、どうもこれではラチがあきません。
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 スプリンクラーはどうしたのか、来賓の中から故障中で使えないんだという話しも出たりして、議会で確認してみようと思います。

 さて、最初の東中ダービーという競技は5人が足をロープで結んで列になって走る競争です(ムカデ競争の板をロープにした)が、1年生のひと組がゴール後に先頭の生徒がつんのめって転んで、手をついた拍子にけがをするという事故が起こってしまいました。
 骨折の疑いがあるということで救急車をに呼んだのですが、どうなったでしょう。
 体育祭でなくとも、学校の中の活動で多少はけがをすることはあるでしょうが、大きなけがでなければいいのですが・・・。
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 この競技では特にゴール後に勢い余っての転倒が相次いでいましたが、うまく止まる工夫も必要のようです。
 テントのことやスプリンクラーのことも含めて、地域で活動していて、いろいろなことに気付かされます。

久喜市の生活保護費29億円


 駅頭で『声と眼』を配っていたら、通勤の女性から、「『声と眼』の前号で生活保護費が年間29億円となっていましたが、本当ですか」と質問された。
 その方は5月7日発行の『声と眼』570号をわざわざ持っていらっしゃって、「生活保護の支給額が本当にこんなに多いのか」と確かめたかったらしい。

【生活保護が増え続けている リンク】
【『声と眼』570号へのリンク】

 私は突然に不意を突かれて、「そうですよ」と言ったものの、なぜこんなに多いのかをその場ですぐに説明することができず、「確認してみます」と答えるのがせいいっぱいだった。

 今年3月の久喜市の生活保護世帯数は1321世帯、1819人に達していて、毎年40~50世帯、50~60人、率にして3~4%ずつ、年々増加し続けているのは事実だ。
 しかも見逃せないのは、生活保護世帯の内の半分以上が高齢者世帯であり、その大半がひとり暮らし世帯であることだ。
 この一事をもってしても、国民のくらしが厳しくなってきていること、特に年金だけしか収入がない高齢者にとっての生活が金銭的にたいへん厳しい状態に追い込まれていることがわかる。

 たとえば、70歳以上の高齢者がひとり暮らしの場合、久喜市における生活保護基準額は約6万3000円で、借家の場合は3万7000円を上限に家賃が加算される。
 久喜市のひとり暮らしの高齢者世帯580世帯だから、単純計算で年間合計7億円となるが、持ち家であれば住宅扶助はなしで、ここから年金等の収入を差し引いた分が支給されていることになる。

 生活保護支給基準額である最低生活費が70歳以上の高齢者の場合、6万3000円というのが、高いか低いかは、立場によってまた考え方によってさまざまであろうが、それはここでは触れないでおく。
 支給基準額の他に、障害者加算、児童養育費加算、母子家庭の加算等々があり、病気になった場合は医療扶助が別に支給されるが、逆に、働いて収入があれば、支給額から差し引かれる仕組みになっている。
 そうした支給額の合計が、久喜市では1321世帯、1819人に対して、年間で29億円に達するということだ。

 2016年度の生活保護支給額の総支給額は26億円であったが、その内訳は概算で、生活扶助8億円、住宅扶助4億円、医療扶助12億円、介護扶助8億円などとなっていた。

 政府は景気が緩やかに回復しつつあると、ことさらに言い続けているのだが、国民の多くにとって、特に高齢者にとっては、そんな実感はまったくない。
 仮に、政府の言う通りに、景気が回復し雇用が改善しているのだと信じるとしても、働くことのできない高齢者にとっては、年金支給額が増えるわけではないから関係ない話しだ。

 地方自治体のほとんどにとって、近年は年間予算の内で、民生費の割合が最も高くなっているのは、住民の生活を守る最も身近な政治が自治体であることからして、当然ではある。
 久喜市の場合、2019年度一般会計予算が約510億円で、民生費が214億円、42%を占め、扶助費が130億円(予算全体の25%)にのぼっている。

 議員の中には、生活保護費がこんなに多いのは、在日外国人がたくさんもらっているからじゃないかとか、不正受給が多いのではないかと疑っている人もいるようだ。
 しかし外国人の受給は、1321世帯の内、26世帯に過ぎなかった。
 また「不正受給」は、2016年度で49件(1396万円)あったと報告されているが、「不正受給」の中身の多くは、働いて賃金を得た、あるいは子どもがアルバイトなどで得たお金を申告しなかったというものであって、29億円という保護費を左右するほどのものではあり得ない。

『広報くき』 縦書き右開きか、横書き左開きか

 『広報くき』5月号が配布された。
 今回から全面カラー化してページ数も32ページに増えた。

(1)これは「お知らせ版が廃止されて、広報の発行が月1回になったためで、やむを得ないだろう。
 市の職員が手分けして、各区の世帯数分の広報を数百部ずつ、区長さんのところへ降ろして歩く手間(人数と労力と時間)は相当なものだ。
 また、それぞれの区長さんは町内会の班長さんの家へ、数十部ずつ分けて降ろして歩くのも一苦労だろう。

 これまで、区長さんたちは月2回の『広報くき』やチラシ配布がたいへんだから、広報を月1回にしてほしいと要望してきていて、それが実現したのだったが、1回に配布する重量はむしろ大幅に増えたし、15日の配布物がなくなったわけではない。
 毎月ではなくなったものの、年6回は15日に配布する『広報くき』以外のチラシや冊子などがあるから、やっぱり負担感はあるようだ。

 印刷所から区長さんや各班長さんの家まで、宅配便に委託して配送するとか、いっそのこと、各戸配布そのものをポスティング業者に委託するとか、検討する時期ではないか。

(2)配られた『広報くき』5月号を開いてみて、大いに違和感を感じたのは私だけではないだろう。
 これまで通りにページをめくっていって、5ページまでは“縦書き右開き"なのだが、6ページ目以降は、後ろから“横書き左開き"で、ページ数も後ろから振ってあるではないか。
 なぜこんなおかしな作りにしたのだろうか。
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 一見すると、こちらが表紙のようにめるのだが、・・・
 反対側にも表紙らしきものがあって、左開きの目次も付いているから、きっとこちらが本当の表紙なのではないか。
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 『久喜市議会だより』はもう20年近く前から“横書き左開き"にしているが、『広報くき』はずっと縦書き右開きで、市民からはどちらかに統一して欲しいという声も寄せられていた。

 『市議会だより』を横書きにした理由は、算用数字は横書きの方が表記しやすいし読みやすい、公文書はすべて横書きがあたりまえだから、当時の『議会だより』編集委員会で転換した。
 私は一般質問で、『広報くき』も“横書き左開き”に変更するよう提案してきたが、当局は「縦書きで親しまれてきた」「新聞等も縦書きだ」などの理由を並べて、いっこうに横書きへの転換を検討しようとしてこなかった。
 しかし実際にはこれまでの『広報くき』も、半分近くのページ、あるいは記事の半分以上は横書きで書かれていた。
 予算の説明や、お知らせのページで日付などは横書きの方が適しているのはあたりまえだからである。

 5月号で“縦書き右開き"のページと、“横書き左開き"のページを合体させたのは、縦書きの形式を維持したいお役所の苦肉の策であったろう。
 そんなに固執せずに、もう全部を“横書き左開き"にした方がよい。

 すでに公文書も、市の計画書等々も、市からのお知らせ等々も、すべて“横書き左開き"になっている。
 公的な配布物で、縦書きを維持しているのは、『社協だより』くらいではないか。
 ちなみに、各議員が作成して市民に配布している議会報告は、ほとんどが横書きになっていて、いまだに縦書きを維持しているのは1会派と2人の議員さんだけなのだが、これは他の議員と違いを出して目立たせたいという意図からだろうか。

「連休中の市役所の業務案内」が見つからない

 下の記事を書いたのが4月21日だった。
 翌日の月曜日の午後に、久喜市のホームページを担当している庶務課長に問い合わせたところ、
「現在、各課に連休中の業務の取り扱いについて照会をしている。本日中にはホームページにアップできる予定です」
という回答だった。
 残念ながら、夕方の5時半までにはアップされていなかったので、急いで照会をかけたものの、各課の回答が間に合わなかったのだろう。
 火曜日の朝に確認したらアップされていた。2019/4/24
【大型連休期間中の業務案内についてへのリンク】
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 4月27日から5月6日までの10連休で、久喜市役所のいろいろな業務、手続きやさービスがどうなるのか、何人かの方から問い合わせを受けました。
 市のホームページのどこを探しても、連休中のお知らせや案内が掲載されていません。

 『広報くき』4月号の最終ページに、「大型連休の業務案内」が掲載されていたのですが、手軽にスマホでちょっと調べようとしても、出てこないのです。
 連休中のごみ収集については、《大型連休中の家庭ごみの取り扱いについて》⇒リンクという衛生組合へのリンクがありました。
 市内循環バス、デマンド交通については、《運休のお知らせ(市内循環バス、デマンド交通(くきまる)及びデマンドタクシー)》⇒リンクが載っていましたが、現在は「新着情報」「注目情報」のいずれにも載っていませんでした。
 久喜市のホームページで、連休中の業務に関する記事は、これだけしかありません。

 他市ではどうなっているか調べてみると、
 【さいたま市】ホームページのトップページ⇒リンク、お知らせのいちばん上に《連休中の市内の医療機関や市役所、区役所業務および記帳所の設置についてご案内します》⇒リンクの記事が載っていました。
 すべての公共施設や市のサービスについて、きめ細かに掲載されています。

 【春日部市】ホームページのトップページ⇒リンク、お知らせのいちばん上に《平成31年4月27日~令和元年5月6日の行政サービスや主な施設の休館日》⇒リンクの記事が載っています。

 【加須市】ホームページのトップページ⇒リンク、新着情報のいちばん上に《4・5月の10連休に伴う閉庁・休館・休業日案内》⇒リンクの記事が載っています。

 【蓮田市】ホームページのトップページ⇒リンク、お知らせのいちばん上に《大型連休における市内公共施設の休業について》⇒リンクの記事が載っています。

 ホームページのトップページに連休中の業務の案内を掲載していないのは、久喜市くらいのようです。
 久喜市の行政は、市民が何を知りたいかについて考えないのでしょうか。
 明日の朝、問い合わせてみようと思います。

 なお、久喜市のホームページから、『広報くき』または『連休』で検索すると、『広報くき』の記事を見つけることができます。
 しかし注目情報や最新情報として、見出しのリンクを掲載するのがあたりまえではないでしょうか。

「賛否同数、議長裁定で否決」

 2月定例市議会に、「福島第1 原発におけるトリチウム等汚染水の海洋放出に慎重な対応を求める意見書」を提出したが、残念ながら否決された。
 久喜市議会27名の議員の会派構成は、市民の政治を進める会が3名、共産党が4名、公明党が5名、無会派が1名である。
 新政が14名だが、議長は通常は採決に加わらないから、議長を除くと13名となる。

 議員提出議案の意見書などの採決で、野党系が提案したものは、共産党と市民の政治を進める会の賛成で7名、それに無会派が加わった場合は8名で、新政と公明党が反対に回ると、まず少数で否決となる。
 今回の議会では、共産党が出した「消費税増税反対の意見書」や、社民党が出した「沖縄・辺野古基地反対の意見書」などは、国政における与野党真っ向対決の課題に関わる意見書だから、最初から否決を承知の提案であった。

 私が提案した「トリチウムの海洋放出に慎重な対応を求める意見書」は公明党が賛成に加わったので、賛成13名となったが、新政が全員で反対に回ったので13名、賛否同数となった。
 久喜市議会で賛否同数というのは、これまであまりなかったことではある。
 採決で、議会事務局長が「同数」と言った後に、議長が「賛否同数であります。議長は『否』とします。よって本案は否決されました」と述べて、結局は議長の裁定で否決となった。
【参照⇒意見書の本文と、経過へのリンク】

 昨年の市議会議員選挙換えまでは、新政だけで過半数を握っていたが、現在は議長を除けば、新政と新政以外でちょうど半々になっているので、今後はこんな場面が増えてくるのかも知れない。

 しかしこれまでの久喜市議会での議案採決は、必ずしも、最初から会派の人数で決まってきたわけでもない。

 昨年9月議会に、やはり私が提案した「東海第2原発の再稼働に反対する意見書」は、市民の政治を進める会、共産党、公明党、無会派に、新政の中から5名が賛成に加わってくれたので、賛成18、反対8で可決された。
 この意見書も、原発そのものの賛否を問うたものではなくて、埼玉や首都圏に隣接する茨城県の原発の再稼働に反対というものであったから、必ずしも与野党対決型のテーマではなかった。
 新政の皆さんが、それぞれ1人の政治家として、個人で判断し、1人1人賛否を表明したのであったから、会派を超えたそれぞれの議員の判断によって可決された。

 本来、地方議会は政党に縛られるものではない。
 選挙でも、公明党や共産党、社民党を除けば、政党の公認で立候補する人は少なくて、ほとんどは無所属で闘ってきている。
 個人として有権者の審判を受けているのであるから、本来は議会でも、個人としての意思表示を迫られるはずだ。
 実際、私も市民の政治を進める会という3名の会派の代表ではあるが、その3名の中でも賛否が分かれることもある。
 これまで、新政の中でも往々にして、賛成、反対、時には退席という形で、独自の判断を貫く議員もいた。

 公明党と共産党は、思想も政策判断も完全に一致していることが前提であるから、賛否が分かれることはあり得ない。
 しかしそれ以外の政党や会派は、国会でも、たまに「造反」が出たり、自民党で公然と党と異なる意志を表明する議員もいるではないか。
 ましてや地方議会の会派は、政党でもない、宗教団体でもないのだから、政策判断や議案の賛否が完全に一致することの方がおかしいのだと思っている。
 1人の政治家として、自分の判断を棚に上げて、あるいは押し入れにしまって、賛否を会派の大勢にしたがって決めてしまうとしたら、それは有権者に対する裏切りにさえあたるのではないか。
 久喜市議会は以前から、議員のある程度は自由な賛否表明や行動を許容し合う作風を作ってきている。
 それが本来の地方議会のあり方ではないか。

青毛小学校入学式、新入生に贈る言葉

 今日、4月9日、青毛小学校の入学式でした。
 私は、地元の市議会議員として、来賓のあいさつをしました。
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 新しい、青毛小学校1年生のみなさん、入学おめでとうございます。
 今日、学校に来る道ばたにも、スイセン、タンポポ、青毛堀には桜、黄色い菜の花、学校の前にもチューリップがいっぱい咲いています。
花がいっぱいだと、心がうきうきしてきますね。

 みなさんは、今日から、青毛小学校1年生です。
 小学校では、いっぺんにおんなじクラスに、1組に25人、2組にも25人のお友だちがいます。
1年生全部では50人です。
青毛小学校全体では331人です。
みんなとお友だちになりましょう。
みなさんが、青毛小学校で、たくさんの友だちと仲良くなって、いっしょに学校に来て、いっしょに勉強して、毎日毎日、楽しくくらせたらいいですね。

 皆さんに、覚えておいてほしいことが一つあります。
 皆さんは、お母さんやお父さん、皆さんのおうちの人たちの、大切な宝物です。
 それから、青毛小学校の先生方や、ここに並んでいる地域の人たちにとっても、大切な宝物です。
 だから、皆さんが、朝、自分で起きて、朝ご飯を食べて、元気に青毛小に通うことができて、ここにいてくれる、それだけで、みんながとてもうれしくなります。

 学校に来たら、お友だちや先生に、大きな声で、「おはようございます」って、あいさつをする、それで、自分も、みんなも、もっともっと温かい気持ちになります。

 保護者のみなさん、お子さんの入学おめでとうございます。
 ヒトは人の中で人となる、という言葉があります。
人間は、人の集団の中でこそ、育っていきます。
それから、最も優れた教育は、すてきな大人に出会うことだ、という言葉があります。
これは私の大好きな言葉です。

 子どもたちは、今日から、この青毛小学校という一つの社会に出ていきます。
 国語や算数といった勉強だけではなくて、地域社会で、人として生きていくために、人とつながるということを学んでいきます。
 今日が、その大きな一歩となることを願って、お祝いの言葉とします。
もう一度、皆さん、おめでとうございます。

県議選で、越谷の辻さんの応援に行ってきた

 埼玉県議会議員選挙の投票日は4月7日です。
 越谷市選挙区では、定数4名のところに7名が立候補して、激戦を繰り広げています。
 自民、共産、立民が現職議員が立候補、公明は現職からの交替です。
 民主党が立憲民主党に変わりましたが、ずっとこの4陣営で、4議席を占めてきているのは変わりません。

 これに新人で、越谷市民ネットワーク・辻こうじ氏が挑む構図です。
 辻さんは43歳、これまで越谷市議会議員を3期務めていて、埼玉東部地方政治改革ネットという無党派市民派自治体議員の勉強会でごいっしょしています。

 4月2日、朝7時過ぎから大袋駅での駅頭あいさつで合流しました。
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 その後、午前中いっぱい、候補者宣伝カーに同乗して市内を回りました。
 午前中に10か所の街頭演説を行いました。
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 ひるがえって、久喜市選挙区ははやばやと、石川、梅沢氏の無投票当選が決定し、選挙戦は1日で終わってしまいました。
 県内52選挙区の定数93人の内の、22選挙区32人の県議が無投票で決まってしまったそうです。
 実に、選挙区数で42%、議員数で34%が有権者の投票による選択を受けることなく議席を得たというのは、異常な事態ではないでしょうか。
 埼玉の県議選は定数1の選挙区が多く、事実上の小選挙区だから、現職が強いと対抗馬が出ようもない。
 選挙自体が形骸化して、有権者の選挙権を奪っていると言って過言ではありません。
 現職の皆さんはこの方が楽だから、低投票率などは気にもしないのでしょうが、県議会自体への市民の関心も薄らいでいって、その内、「県議会って必要なの?」ということにもなりかねません。
 現職の県議会議員さんたちには、こうした問題意識はないのでしょうか。

「令和」からの連想・・・

(1)
「令」
さっそくグーグルで検索してみると、
 命じる いいつけ 「令状」「命令」
 きまり おきて 「訓令」「法令」
 おさ 長官 「県令」
などとなっていて、やっと次に、
 よい りっぱな 「令色」「令名」
 他人の親族に対する敬称 「令室」「令嬢」
という意味が出てきた。

(2)
安倍の言う、
 「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つという意味」は、どこからもってきたのだろう。
 出典は、万葉集の「初春令月 気淑風和」から2文字を取ったと書いてあったが、そうするとこれは、「地平天成」「内平外成」のような社会や政治のあり方ではなくて、美しい日本の情景を表す元号ということか。
 万葉仮名で、「令月風和」はどう書いてあるのだろうか、興味はある。

 ただ、違和感が残るのは、中国の古典を排し、「国書である万葉集」から取ったというのだが、それにもかかわらず「やまとことば」「和語」でなく、どうして「令月」という漢語から借りてきたのかということだ。
 万葉仮名で表した「和語」を元号にあてるならともかく、これで古代からの日本語を大切にしたことになるのか。

 逆に、元号という伝統を引き継いだように見せながら、いきなり「国書」に出典を求めたことで、過去247の元号の伝統を無視してしまったのは皮肉でないか。

 それでも、使っている内になじんで慣れてくるかも知れぬ。
 もっとも、私は今までも、できるだけ元号は使わないようにしていますけどね。

(3)
 ところで、久喜市は平成22年に合併し、「総合振興計画の期間は、平成25年度から平成34年度までの10年間」となっている。
 これくらいだったら、「総合振興計画の期間は、平成25年度から令和4年度までの10年間」と換算できなくはない。
 これ以降、昭和、平成、令和を合わせ使う場合、西暦と換算して計算することになるだろうが、スムーズに話が通じるだろうか。

(4)
 「美しい国 日本」を引くまでもなく、安倍は「美しい」という言葉が大好きらしい。
 しかしその安倍が、沖縄の人々の心と大地と美ら海を、破壊し続けていながら、その同じ口で、「美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」などと、何枚目の舌がしゃべっているのか。

【追記】 
 いろいろな解説が出てきて、「令月」という単語・名詞があったのを知った。
 何事をするにも良い月、めでたい月、陰暦2月の異称とある。
 そうだとしたら、「令月」を分解して、良い月の「良い」を借りてきたわけだが、一つの単語をこんな風に分解して他の漢字と組み合わせたら、元の「令月」の意味はなくなってしまうのではないか。
 かなり無理があると思うのだが・・・、まあ、「良い」という意味は残るから、それでもいいのかなあ。

 万葉集に、「令月」「風和」が万葉仮名で書かれているのかと思ったら、そうではなかった。
 「初春令月 気淑風和 ・・・」という漢詩だったのですね。
 本来の日本語としての和語ではなくて、日本人が作った漢詩から引用した単語から1字ずつを取って「令和」とした・・・。
 万葉時代の日本人にとって、漢詩は高級な外来文化であったわけだが、それを元にして元号を作るのでは、漢籍をもとにしたのとそう変わらないのではないか。
 また万葉集のその漢詩にはさらに、中国の「文選」に「仲春令月 時和気清」という原典があったとすると、これで歴史上初めて「国書」から取ったことになるのか。
 安倍が何をしたかったのか、わけがわからなくなった。
 もっともこの人は、印象操作と強引な決めつけ、権力政治だけで政局を乗り切ってきた方だから、中身はどうでもいいのだろう。

現場には、まだアスベスト土砂が積まれている

 旧農業センター跡地からアスベストを含む産業廃棄物が出てきた問題は、市と開発事業者との「和解」で7320万円の損害賠償を支払うことで決着が付いたことになっている。
【参照⇒市の損害賠償事件 早々に幕引きへのリンク】
 「和解合意書」には、賠償金を「平成31年3月29日までに支払う」と明記されている。

 アスベストは相手側が処分することになっていて、「相手方が行った埋設物の撤去にかかる費用等の負担」、つまりその処分費用を損害賠償するものであった。
 しかしかんじんのアスベストの処分がいまだに終了していないのに、賠償金の額を確定し支払ってしまうというのは、どうしても理解ができない。
 3月27日の段階で、現場にはいまだに、アスベスト建材の土砂が詰められたフレコンバッグが山積みされている。
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 相手方から市に対して損害賠償請求書が正式に提出されたのは、1月31日であった。
 そこには、「石綿混入土 運搬・処分 最終処分場 150t 単価75000円」と明記されている。
 しかし、市議会特別委員会で、3月9日に現場を視察した際には、まだアスベストを含む土砂をフレコンバッグに詰める作業をしていた(写真 下)から、その段階では処分量も最終的には確定していなかった。
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看板には「廃石綿等(又は石綿含有産業廃棄物)保管場所につき関係者以外立ち入り禁止」と書かれている。
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来賓あいさつは、必ず原稿を書いていきます

 先々週は地元の久喜東中学校の卒業式、先週は青毛小学校の卒業式で来賓としてあいさつをしました。
 4月には、8日の東中学校入学式は交替で宮崎議員、9日は青毛小学校入学式は地元議員は私しかいませんので、また私があいさつする予定です。

 教育委員会や市長の祝辞は、部課長たちが交替で代理で出席し、用意された原稿を朗読するのが常です。
 議員の中には、「自分は演説のプロだから、原稿には頼らないと言って、ノー原稿でやっている人もいますが、演説と祝辞のあいさつとは違います。
 壇上に上がってあいさつする方々は、普通はそれぞれ考え抜いた祝辞を書いてきています。
 それなのに、議員が原稿なしで(ともすればその場の雰囲気で)話すというのは、いかにも不遜で失礼だと思っています。

 そこで私は、議員を代表してあいさつするときには、必ず原稿を書いていきます。
 事前に原稿を書くというのは、推敲に推敲を重ね、よけいな修辞をそぎ落として、文章を凝縮させていく、いわば言葉を練り上げていく作業です。

 卒業式や入学式で、来賓の祝辞やあいさつは型どおりの文章で長くなりがちですが、私は原稿用紙2枚~2枚半くらいにまとめて2分~3分以内、できるだけ短くにするようにしています。

 もっとも、私の場合、原稿を読むといっても、朗読ではありません。
 演壇に立ったら原稿をまず演壇の上に置いて話し始めますが、すでに推敲の過程で文章は頭に入っています。
 時々は原稿に目を落としますが、原稿にとらわれるのでなく、練り上げた文章を話し言葉として子どもたちに伝えることを心がけます。
 また、できるだけ子どもたちの顔を見ながら、語りかけるように話すことにも心がけます。

 他の来賓の方から、「猪股さんは原稿を開いているけれど、あれは読んでいるんですか」と聞かれたことがありましたが、いわば自分の安心と、話の筋を外さないための原稿だと言ったらいいでしょうか。


 昔々は、先輩議員たちに教えられて、ノー原稿があたりまえだと思っていました。
 事前にだいたいの話の筋を考えていきますが、その場の流れでお話していたものです。

 でもある時、他の議員の祝辞を聞いていて、けっこうなベテランでも、途中でつっかえたり、言葉が続かなくなることもあることに気が付いたのです。
 またその場で思いついたことを付け加えたりしたくなって、ついつい長くなりがちです、というか、ノー原稿の場合、ほとんどの場合、長くなります。
 “自分は原稿なんか必要ない”と自信を持っている人ほど、その場で何かしら付け足したくなったりして、話が長くなっていく傾向にあるようです。
 ただでさえ長い式典で、じっと座っているしかない子どもたちにとっては、迷惑この上ない話というしかありません。

青毛小学校の卒業生たちへ贈る言葉


 3月22日、今日は地元の青毛小学校の卒業式でした。
 私は、来賓として出席し、卒業生たちにお祝いのことばを述べました。
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 青毛小学校の卒業生のみなさん、保護者のみなさん、卒業おめでとうございます。
 70名の卒業生を送り出そうとしている校長先生、先生方、おめでとうございます。

 卒業生のみなさん。
 みなさんは、6年間、一つ一つの階段を上ってきて、今日はその最後の段に立って、今、大きな扉を開いて、外へ出ていこうとしています。

 私たちはみな、この地球に共に住んでいる生きものたちの一員です。
 でも、人間が動物といちばん違うことは、将来への夢を、目標として持つことができる。
自分は何をしたいんだろう。
何ができるんだろう。

 まず、皆さんは、これからじっくりと考えながら、その目標を見つけて欲しい。
 もうすでに目標を持っている人は、その目標に向かって進むにはどうしたらいいかを考えて欲しい。
 目標をしっかりと見据えて、道筋を考えて行動していく。それが人間が人間たるゆえんです。
一歩ずつ歩いていってほしい。

最初からうまく行くことばかりではないかもしれない。
失敗してもいいんです。
人間は、失敗からも学ぶことはできるんですから。
途中で、うまくいかないなと思ったら、立ち止まって、もう一度、目標と道筋を考え直してみてもいい。

 考え考え、目標へ向かって歩いていくのが人間だけれど、ここにいる70人の一歩一歩は、みんなそれぞれに歩幅も違う。速さも違います。
 いちばん大切なのは、自分のペースを見つけて、歩き続けることです。

 今、みなさんは青毛小学校を卒業して、4月からは中学生になる、大人になっていく、その一つの扉を開こうとしています。
この目の前の、大きな扉の向こうには、もっと大きな社会があります。
そこには、たくさんの人たちが、皆さんを待っています。

 しっかり前を向いて、一歩を踏み出そうとしている、みなさんの顔。
 希望に向かって進んでいく、みなさんのまなざし、とってもまぶしく感じます。
 その顔を持ち続けられたらいいですね。

 さあ、みなさん、この扉の向こうへ、歩いて行きましょう。
 もう一度、みなさん、卒業おめでとうございます。