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zoom RSS 「財政が厳しい」論の意味するもの

<<   作成日時 : 2018/08/09 17:01   >>

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 ともすると、議員は上から目線で「市民の皆さんに教えてあげる」という姿勢に陥りがちだ。
(1) 貴志議員の「活動報告(第16号)」もその一例である。
 「活動報告」と銘打ちながら、メインの記事は、市が発表している「財務諸表(貸借対照表)を解説!」である。
 その「解説」とやらによると、
 久喜市の負債(借金等)は542億円に達するが、金融資産(現金・預金・積立金・貸付金)は144億円にすぎない。
 不足分が398億円であり、『財政が厳しいのは明らか』だから、『「稼ぐ力の強化」「コスト削減」を進めないと次世代に大きなツケを残すことになります』というのが結論である。
 彼の主張はきわめて単純で、『市の財政は厳しい』というに尽きる。
 ただ、『財政が厳しい』ということを主張するためだけなら、わざわざもったいをつけて、財務諸表を持ち出して大仰に「解説!」するまでもあるまいと思うのだが、いかがか。

(2) 問題なのは、久喜市の財政がどの程度に厳しいのかということである。
 地方公共団体の財政の健全化に関する法律では、実質公債費比率や将来負担比率などの指標を定め、毎年の公表を義務付けている。
 久喜市の財務諸表も、この法律に基づいて公表しているのだが、久喜市の数値に特に問題があるわけでもなく、久喜市の財政は「健全」という判断である。
 県内40市の比較で見ると、久喜市は財政力指数は上から19位、義務的経費比率は低い方から16位で、いずれも県内の市ではおおよそ中位〜やや上位にある。
 一方、財政調整基金比率は上から5位で、久喜市は財政規模の割に市の貯金がたいへん多いのが特徴である。


 財政力指数が高いほど自主財源の割合が高く、財政力が強い団体ということになる。
 義務的経費比率は歳出に占める人件費や扶助費、公債費の割合で、低いほど財政の柔軟性・自由度があり、高いほど財政の硬直化が進んでいることを表す。


 私は、だから“久喜市の財政は余裕があってたいへん裕福だ”とまで言うつもりはないが、これ以上の市民サービスに応えられないほどに厳しいものではない、きわめて“健全財政”である。

(3) もしも、久喜市の財政が、市民の皆さんにあらためて警告を発しなければならないほどに厳しいものであれば、現在行っている以上にはもはや市民サービスの拡充はできないと、はっきり言わねばならぬ。
 さらには現在の“赤字事業”、たとえば子ども医療費の無料とか高齢者福祉サービス、循環バスやデマンド交通のような事業など、現在の市民サービスも次々と廃止・縮小、あるいは引き下げなければなるまい。
 しかし彼も、そうした市民サービスの引き下げを、議会で主張したことはないから、本当のホンネは、そうした市民サービスができないほどに厳しいとは、実は思っていないのではないか。

 それでも彼が、何かにつけてしばしば、『財政が厳しい』とことさらに言いつのるのは、市民が久喜市に新たな行政サービスの要求などしないように、市民に対して啓蒙してやらなければならないという使命感でも持っているようだ。
 一方で、『市の金融資産が大幅に不足している』と主張してみせるのは、行政に対して、財政を市民サービスに使うよりも、彼の言う『金融資産』を拡大するために、基金(市の貯金)にため込むように奨励しているつもりだろうか。

(4) 彼の大きな勘違いは、自治体財政を民間企業の経理と同じに考えているらしいことである。
 単純化して言えば、民間企業は、営利事業に投資するために、内部留保で資金を貯め込むのだが、自治体は基本的に営利事業に投資することはできないし、必要もない。
 市民の税金を財源として、その範囲内で市民サービスに“消費”するのが自治体の事業であるから、もともと利益をあげる必要のない事業が主であって、民間企業の会計とはまったく性格が異なる。
 自治体が財政を使う、その成果物は、市民福祉の向上による市民満足度の引き上げであって、その点でも、民間企業が本来的に利益の拡大や資産の蓄積を目的とするのとは異なる。

 彼は民間企業の経理部門にいたことがあるそうだが、その経営分析を、自治体の財政にそのまま当てはめることなどできるはずもないではないか。

(5) 彼の“久喜市の財政分析”によると、久喜市は負債が542億円あるのに対して、金融資産が144億円しかないから、不足分が398億円もあることが問題なのだと言う。
 ということは、その不足分を早急に埋めなければならないことになるのだが、この論理をさらに進めるとどうなるか。
 金融資産を540億円になるまで貯め込むためには、市民サービスの水準を大幅に引き下げて、それによって浮いた財源を財政調整基金にひたすら積まなければならない。
 彼がこういう結論を出したのなら、それを堂々と主張し、市民に対して、サービス低下を受け入れろと説教しなければならないのだが、実際には、そう主張するわけでもないらしい。
 いや、そんなことがいかに非現実的か、久喜市の市民サービスが低下して魅力のないまちになれば、市民が逃げ出していってしまうだろう、実際にはできないことをわかってはいるのだろう。

(6) 自治体の「負債」のほとんどは地方債であるが、それは将来の市民の借金であって、将来の市民の税収で返済できることが確実である(その範囲内で借金している)。
 つまり、将来の市民に対して課される税収が、潜在的な「資産」なのである。
 だから自治体は、現在の「負債」と同額の「金融資産」を確保しておく必要はなく、「資産」の不足分を埋めておく必要もないと考えられている。
 もしもそれを、今現在において確保しておかなければならないとしたら、自治体財政は成り立たないと言ってよい。

(7) 彼のもう一つの結論は、「稼ぐ力の強化」「コスト削減」を進めるべきだということである。
 しかし「稼ぐ力」といっても、彼がこれまで提言してきた対策はせいぜい、『広報くき』やホームページの広告、自動販売機の設置に料金を課す、遊休土地の売却くらいなのだが、これではせいぜい数十〜数百万円の収入にしかならない。
 負債と資産のバランスの不足分398億円を埋めるだけの金額にはとうていなり得ないのであって、だとすれば彼は、その不足分をどう埋めるのかを市民の前に明らかにしなければならない。
 「不足分が398億円もある、たいへんだ」と大風呂敷を広げておいて、それを埋める方策を提示しないのはあまりにも無責任ではないか。

 私自身は、市の公共施設への太陽光発電システムの設置や、市の電力購入契約を東電から新電力に切り替えるよう提言して実現させた結果、数億円の財政効果をあげてきたが、このような、実際に久喜市の財政に資する政策を提言した方がよかろうと思う。

(8) また、彼が「コスト削減」と言いながら、議員報酬や政務活動費の引き下げ、県内トップクラスの市長交際費の削減にもまったく言及しないのは、財政が厳しくても、議員や市長の既得権は守ろうという特権意識に他ならぬのではないか。

(9) 私は大学で地方財政を学んできたが、財政学は財政をいかに集め、いかに使うかだけではない、どのような使い方をするかの学問であると理解している。
 そして市民サービスのバランスを取りながら、主権者である市民=納税者の理解に基盤を置いて、つまりは財政民主主義の基盤の上に、限られた財源を有効に使いながら市民福祉をいかに向上させていくことが、財政の役割であり政治に問われているのである。
 もとより、使える財源が無限にあるわけではないから、いわゆるバラマキは徹底して排すべきであり、使い途の“選択と集中”、そして最も効果の上がるであろう使い方をするのが当然であって、“最少の経費で最大の効果”をめざすことは当然である。

 これと逆に、市民からのサービス充実の要求に対立、あるいは抑制し、いかに使わないかという論理の立て方をするのでは、そもそも財政学ではないし、政治ではない。
 それは政治の論理ではなくて、財政管理者たるお役人=官僚の論理に他なならない。

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