「賛否同数、議長裁定で否決」

 2月定例市議会に、「福島第1 原発におけるトリチウム等汚染水の海洋放出に慎重な対応を求める意見書」を提出したが、残念ながら否決された。
 久喜市議会27名の議員の会派構成は、市民の政治を進める会が3名、共産党が4名、公明党が5名、無会派が1名である。
 新政が14名だが、議長は通常は採決に加わらないから、議長を除くと13名となる。

 議員提出議案の意見書などの採決で、野党系が提案したものは、共産党と市民の政治を進める会の賛成で7名、それに無会派が加わった場合は8名で、新政と公明党が反対に回ると、まず少数で否決となる。
 今回の議会では、共産党が出した「消費税増税反対の意見書」や、社民党が出した「沖縄・辺野古基地反対の意見書」などは、国政における与野党真っ向対決の課題に関わる意見書だから、最初から否決を承知の提案であった。

 私が提案した「トリチウムの海洋放出に慎重な対応を求める意見書」は公明党が賛成に加わったので、賛成13名となったが、新政が全員で反対に回ったので13名、賛否同数となった。
 久喜市議会で賛否同数というのは、これまであまりなかったことではある。
 採決で、議会事務局長が「同数」と言った後に、議長が「賛否同数であります。議長は『否』とします。よって本案は否決されました」と述べて、結局は議長の裁定で否決となった。
【参照⇒意見書の本文と、経過へのリンク】

 昨年の市議会議員選挙換えまでは、新政だけで過半数を握っていたが、現在は議長を除けば、新政と新政以外でちょうど半々になっているので、今後はこんな場面が増えてくるのかも知れない。

 しかしこれまでの久喜市議会での議案採決は、必ずしも、最初から会派の人数で決まってきたわけでもない。

 昨年9月議会に、やはり私が提案した「東海第2原発の再稼働に反対する意見書」は、市民の政治を進める会、共産党、公明党、無会派に、新政の中から5名が賛成に加わってくれたので、賛成18、反対8で可決された。
 この意見書も、原発そのものの賛否を問うたものではなくて、埼玉や首都圏に隣接する茨城県の原発の再稼働に反対というものであったから、必ずしも与野党対決型のテーマではなかった。
 新政の皆さんが、それぞれ1人の政治家として、個人で判断し、1人1人賛否を表明したのであったから、会派を超えたそれぞれの議員の判断によって可決された。

 本来、地方議会は政党に縛られるものではない。
 選挙でも、公明党や共産党、社民党を除けば、政党の公認で立候補する人は少なくて、ほとんどは無所属で闘ってきている。
 個人として有権者の審判を受けているのであるから、本来は議会でも、個人としての意思表示を迫られるはずだ。
 実際、私も市民の政治を進める会という3名の会派の代表ではあるが、その3名の中でも賛否が分かれることもある。
 これまで、新政の中でも往々にして、賛成、反対、時には退席という形で、独自の判断を貫く議員もいた。

 公明党と共産党は、思想も政策判断も完全に一致していることが前提であるから、賛否が分かれることはあり得ない。
 しかしそれ以外の政党や会派は、国会でも、たまに「造反」が出たり、自民党で公然と党と異なる意志を表明する議員もいるではないか。
 ましてや地方議会の会派は、政党でもない、宗教団体でもないのだから、政策判断や議案の賛否が完全に一致することの方がおかしいのだと思っている。
 1人の政治家として、自分の判断を棚に上げて、あるいは押し入れにしまって、賛否を会派の大勢にしたがって決めてしまうとしたら、それは有権者に対する裏切りにさえあたるのではないか。
 久喜市議会は以前から、議員のある程度は自由な賛否表明や行動を許容し合う作風を作ってきている。
 それが本来の地方議会のあり方ではないか。