売却された市有地からゴミが出てきた事件、余波が

【「変」だ】 『「何とか学園」の問題を思い起こさせる』
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 27日(木)12時55分、私の携帯電話に脅迫めいた電話が入った。
 「Yだ」と名乗ったのは本名らしいが、私が「どちらのYさんですか」と聞いたら、いきなり「オレを知らねえのか」と怒鳴りだした。
 そう言われても心当たりがないので、「わかりませんが・・・」と答えたのだが、ますます声を荒げて「オレのことはだれでも知ってる。おまえは???か」(聞き取れなかった)と言う。
 その内、「何がモリトモ学園だ。新聞に出てたじゃねえか。おまえがけしかけてんのか」と言ってきたので、やっと鷲宮地区で市が遊休地を売却して、埋設ゴミが出てきた問題を言っているらしいとわかった。

 参照⇒【「変」だ】市有地を売ったらゴミが出てきて損害賠償されたオソマツ】へのリンク

 後で、市の管財課長に聞いたら、「Y」というのは開発関係の不動産業者の名前らしい。
 ただし用心して付け足しておけば、私は「Y」とやらには会ったこともないし、その電話で話しただけだから、本当にその当事者本人かどうかは不明である。
 どうも自称「Y」は、私が、その業者のことを「モリトモ学園」だと言った”とでも思い込んで、怒っているらしい。
 しかしそもそも、私たち議員は市の行政のあり方について発言するのであって、民間業者を批判したりするスジアイにはない。

市行政はあまりにも無責任ではないか

 今回私が、市議会全員協議会で問題にしたのは、市の財政に寄与しようとして、遊休地を民間に売却したら、過去の埋設ゴミが大量に出てきて、今後、その処分費用が市に請求されて、かえって市の財政に損害を与えてしまった、その責任のあり方である。
 第1には、市がその土地を処分するにあたって、過去の経緯等を調べずに安易に売却してしまったことの責任はどうなるのか。
 第2には、市は埋設ゴミの量や処分費用がどれくらいかかるかも正確には把握していなくて、調査と見積もり、撤去作業まで、すべて業者におまかせでいるらしい。
 本来なら市の責任として、市みずからがゴミの量や撤去費用の積算を行うべきではないかと思うのだが、業者におまかせでいいのか。
 第3に、売却方式の問題である。
 今回は、建築物の撤去を業者に任せた方が市の手間が省けるから、土地評価額から撤去費用を差し引いて売却して、作業中に埋設ゴミが発見された。
 そもそも、市が解体撤去してから売却する契約にしておけば、売却前に埋設ゴミが発見できたから、その段階で、市が撤去して売却するか、そもそも売却方針自体を見直すか、判断できたはずではないか。
 第4に、以前、鷲宮の運動公園から過去の埋設ゴミが発見されて、問題になったことがあった。
 昔の湿地帯や荒地などにゴミが投棄されていて、それがいつの間にか市有地になっているケースが他にもあるのではないか。
 市は市有地の遊休土地を、きちんと調査する必要があるのではないか。

 第2の問題については、全員協議会の財政部長の説明では、売却が完了して、その後に市の瑕疵責任が明らかになったので、業者が撤去作業の後に損害賠償請求されれば、支払わざるを得ないのだという。
 そうであればなおさら、建築物の解体撤去をすべて業者に行わせて、その経費を差し引いて売却したという、今回の売却方式が問題になってくるのではないか。
 今回、市はその土地に建っていた建築物を、購入した業者に処分させるとして、土地事態の評価額から建築物の解体処分費用を差し引いた価格で売却したのだが、それが裏目に出たことになる。

 モリトモ学園の問題も、埋設ゴミが発見されて、国がみずからゴミの量の確認も調査もしないでいて、その処分も費用の算定もすべてモリトモにおまかせで済ませようとしたことに問題があったのではなかったか。(もちろん、安倍夫人のオトモダチを優遇したという問題は別にある)。
 その点を私は、全員協議会で「何とか学園問題で聞いたような話だ」と言い、ブログで「何だか、大阪の“モリなんとか学園”の問題が思い出されてしまうではありませんか」と書いたのだった。
 みなさんはどう感じるだろうか。

水戸市民の避難者受入協定は何のためか

 東海第2原発の事故の際に、水戸市から避難者を受け入れる計画で、久喜市を含む埼玉県11市町と水戸市との「協定書」が締結された。
【参照⇒協定書締結の記事へのリンク】

 水戸市民27万人の内、埼玉県内の11市町で受け入れるのは約4万人、その内、久喜市に避難してくるのは水戸市内の4つの町内の3114人とされているのだが、各市町のそれぞれの受け入れ人数はどのようにして決めたか。
 詳細は明らかにされていないのだが、まず水戸市からの後期避難については埼玉県が窓口になって、県立高校の体育館を避難所とすることを想定したらしい。
 その上で、体育館の面積を、避難者1人あたり2㎡で割って、受け入れ人数を決めて、それに当てはまる町内を割り振ったらしい。
 人間を、生身の人間としてではなく、単なる数としてしかとらえていない、何と安易な考え方か。

 国際的な基準では、1人あたり最低3.5㎡、トイレの数は20人に1か所は必要とされているのに対しても、県立高校の体育館ではとうてい足りない。
 1人2㎡というのはタタミ1枚分だが、荷物を置くスペースも考慮されていないのだろうか。
 避難所開設期間は1か月間を想定しているが、1人2㎡で過ごす(生活する)ことは不可能だから、実際には、水戸市としては場所だけを確保したけれど、最初からみんなは来ないだろうと見込んでいるか、あるいは、ここで暮らすか、各人でどこか避難場所を見つけて自主的に移るかは、それぞれの判断にまかせるということだろうか。

 水戸市から久喜市の避難所に来るまでの交通手段は、貸切バスの運行は予定していない。
 避難者それぞれの自己責任ということだから、久喜まで来るのも容易ではない、実際にはそれぞれで親戚や知人や、土地勘のある所を探して、勝手に(自主的に)避難することになるのではないか。

 もっと問題なのは、東海第2原発で事故が発生したら、30㎞圏内の住民が避難するのだけれど、まず5㎞圏内の避難が優先とされていて、それ以外の住民は当面、自宅待機とされている。
 確かに我先に避難を始めたら、公共交通機関(機能しているかわからないが)も道路も大渋滞で、混乱するばかりになることは目に見えている。
 しかしそれでも、現実には「我先に」避難を始めるであろうことも、誰も止めることができないだろう。
 そう考えていくと、本当に「有効」な避難計画自体が策定できるものかどうか、きわめて疑問と言わざるを得ない。
 いや、もしかしたら、茨城県も水戸市も、本当に避難せざるを得なくなるなんてことは、ホンネでは考えていないのではないか。
 東海第2原発の再稼働「ありき」で、そのためには「避難計画の策定」が条件とされているから、いちおう形だけでも作っておこうという発想ではないのかと勘ぐってみるのだが、いかがか。
【久喜市と水戸市の協定書本文へのリンク】

2市1町花火大会は諦めるしかないだろう

 12月21日の定例市議会最終日に、市長から提案されていた一般会計補正予算に対する修正案が提出され、賛成多数で可決された。

 補正予算の修正点は、おもに3つの事業を問題にしている。
 第1には、市長が打ち出した「理科大跡地校舎の活用計画」の中止、第2には「教育部と健康こども未来部の鷲宮総合支所への移転」を認めないというのが中心である。

 もう1つが、梅田市長が突然持ち出した、「2市1町花火大会」の準備経費の予算を削除するものである。
 そもそも「2市1町花火大会」とは何だったか。
 梅田市長の説明によると、久喜市の合併10周年祝賀、幸手市の幸手駅橋上化完成祝賀とさくらサミット開催記念、五霞町130周年記念を合同で祝おうといのだ。

 隣接する3つの市と町の、まったく関係のないそれぞれの祝賀イベントを、いっしょに1つの花火大会でやってしまおうというのは、あまり聞いたことがない。
 合同で実施するメリットは、それぞれ3分の1ずつの費用負担で、そこそこの規模の花火大会ができる、経費が安くてすむことだという。
 ほとんどの議員にとって、また私が聞いた何人かの市民の受け止め方も、「なに?それ!」という感じで、経費をけちるにしても、あまりに恥ずかしいけちり方ではないかと、はなはだ評判が悪い。

 会場も問題で、久喜地区や菖蒲地区からは、あまりに遠いから、利根川の土手ならまだ栗橋のイメージだが、行幸湖では久喜市の端っこ、いや幸手でやるイメージになってしまう。
 梅田市長は、会場の行幸湖が南栗橋に接しているので、栗橋地区の市民も喜んでくれると思ったらしい。
 しかし栗橋の地元の人によると、尺玉でも上げなければ、南栗橋からも見えないのだそうで、あまり意味はないという。(あの池の広さでは尺玉はムリらしい)。

 いずれにしても、2市1町花火大会の準備のための予算は削除されてしまったから、準備もできないのでは、この花火大会は断念する他はないだろう。
 ちょっと、梅田市長の思いつきがすぎるのではないか。

 ちなみに、議会の採決で、市長提案の補正予算の原案に賛成したのは2人しかいなかった。
 修正案に賛成した議員が19人、原案そのものに反対した議員が5人だから、議員のほとんど市長提案を認めない立場だった。

特別職の期末手当引き上げ、市長の政治姿勢を問う

 11月21日の定例市議会最終日、市長給与と議員報酬の期末手当を0.05か月分引き上げる条例改正が可決された
 市職員の給与改定で勤勉手当が引き上げられたのを、市長や議員に準用したものだが、特別職報酬等審議会にも諮っていない、市長と議会のお手盛りという他ない。
 このようなやり方は、市民の理解を得られない。
 梅田市長は、市長選挙で、「あなたは知っていましたか」と市民に呼びかけるチラシを配っていた。
 そこでは、市長給与や期末手当が引き上げられたことを批判していて、前市長の長期政権への市民目線からの批判として一定の共感を得た。
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 市長に当選したとたんに、前市長と同じことをしているようではだめでしょう。

今後は、審議会の意見を聞くか

 11月議会の議案質疑で、私の指摘に対して、市長は「今回はこのような対応とさせていただきましたが、今後、給与引き上げ等の事案が発生した場合には、真摯に対処してまいりたい」と答弁した。
 来年度以降は、期末手当の引き上げを行うに際しては、特別職報酬審議会の意見を聞く考えを明らかにしたものと受け止めたい。
 もしまたお手盛りでの引き上げを繰り返すようだと、言行不一致という批判が自分に降りかかってくることを覚悟しなければなるまい。

夜間中学校のポスターとリーフレット

 11月定例市議会で、来春に川口市内に開校する夜間中学校を、積極的に市民に知らせるようにと提言した。
【参考⇒ホームページ記事へのリンク】

 教育部長が答弁で、県から配布されたポスターとリーフレットを市役所に配架したと答弁したのだが、うかつにも私は、それらのポスターもリーフにも気付かなかった。
 そこで、いつ頃、どこに配架したのか問い合わせたところ、学務課長から、7月ごろに、本庁舎の教育分室の前と、各総合支所に配架していたが、期間が過ぎたので、すでに撤去したということであった。
 教育委員会としては、議会の質問-答弁を踏まえて、あらためて「夜間中学校開校」のポスターと、リーフレットを作成し、今日、関係箇所に貼り出したという。
【市役所本庁舎の掲示板】
 
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【教育委員会手作りのリーフレット】
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 リーフレットは、本庁舎1階の教育分室カウンター、各総合支所の窓口カウンターに置いてあるという。ふれあいセンターの社協にも依頼したらどうかと提案しておいた。

合併10周年記念プレミアム付き商品券って?

 11月議会に提案された一般会計補正予算に、「合併10周年記念事業」の費用が計上された。
 事業費は125万円で、ずいぶん少ないなと思ったら、「合併10周年のスタートとなるイベントを開催することに要する経費」とある。

 梅田市長は初当選後の6月議会の所信表明演説で、『本市は、平成31年3月に、合併から10年目を迎えることとなります。
 そうした中、平成31年度(2019年度)には、年間を通じて合併10周年を記念する各種イベントや大会等を実施するとともに、記念式典を開催してまいります。』
と述べていたから、来年3月から1年鑑をかけて、何らかの大々的な記念イベントを行っていくことを考えているらしい。

 しかし10周年記念事業に便乗して、おかしな話も出てきた。
 12月7日、市議会一般質問で、成田議員が『合併10周年記念プレミアム付き商品券の発売をすべきだ』と提案した。
 梅田市長がすぐさま、『市民すべてが対象となるプレミアム付き商品券の発行は有効である』と答弁して、大いに乗り気の姿勢を示したのである。

 これまでにも政府がたびたび“景気対策”の名目で、大々的にプレミアム付き商品券を発行してきた。
 前回は2015年だったか、1万円で1万3000円の買い物ができる「とくとく商品券」を発行したのだったが、これまでの経験では、前の方に並んだ人の多くが限度額いっぱいの20万円を買ってしまったので、一部の人しか買うことができなかった。
 しかも半分はスーパーなどの大規模店での購入に充てられたから、地元の小規模商店の活性化につながったのか、はなはだ疑問満載・悪評紛々たる商品券騒動だった。
 ちなみに、前回は、久喜市内で5億円分(6億5000万円の買い物ができる)の商品券を発行して、1人20万円の商品券が2500人くらいにしか行き渡らなかったことになる。
 ということは、税金からプレミアム分と発行事務経費などで2億円を負担し、市民の中のわずか2500人が6万円ずつ儲けたという計算である。

 今度は政府が、消費税増税の痛みを和らげるためという口実で、所得制限を設けるとしているから、まだ低所得者への増税の影響を緩和するという名目はたつ・・・効果のほどは疑わしいが・・・。
 これに対して、久喜市で発行する10周年記念のプレミアム付き商品券は所得制限は付けないで、「全市民を対象」だそうだから、一部の人に儲けさせるために、市民の税金を浪費することになる。
 合併10周年を口実に、そんなばかばかしい税金の無駄遣いをやろうというのは、もはやまともな政治とは思えない。

市民の全世帯に金を配った方がまだいい!?

 私は、このような目的も不明確で効果もわからない、単なる税金のバラマキにはとうてい賛成できないが、そんなばかばかしいことをやろうというのなら、こんな思いつきはいかがか?

 “合併10周年を市民みんなで祝う”ことを目的にするのなら、いっそのこと、6万5000世帯の全世帯に、一律○千円ずつの住民税を軽減、あるいは○千円を還付してはいかがか。
 生活保護世帯を含む非課税世帯にも○千円を、10周年のお祝い金として給付してはいかがか。
 ひとり暮らしも多人数世帯も、所得に関係なく、配るのである。
 それらを全部、地元の小規模店でしか使えない○千円の商品券で配布するのである。

 6万5000世帯全部に配るとして、仮に一律5000円なら3億2500万円、3000円なら約2億円、2000円なら1億3000万円ですむ計算になる。
 そうすれば、比較的少額だから、貯蓄にまわされることもなく、すべて短期間の内に地元商店で消費に廻るから、地域経済にも資するだろう。
 一部の人だけが得をするプレミアム付き商品券の発行などよりは、よほど市民の消費拡大に直結するのではないか。
 これは私の単純な思いつきにすぎないから、まじめに検討にも値しないとは思う、いや、どうせ検討はされないと思うけれど・・・。 

来年4月から『広報くき お知らせ版』を廃止へ

 『広報くき』は現在は、毎月1日と15日(『お知らせ版』)の2回発行して全世帯に配布している。
 区ごとに区長さんのお宅にまとめて届けられて、それを区長さんが、各町内の班長さんに分けて配ってもらっている。

 『広報くき』ばかりではない。
 『市議会だより』が年4回、『衛生組合だより』と『社協だより』が年6回、その他にも文化団体やスポーツ団体、警察だよりなど年何回か定期的に配布される広報紙、地域の学校だよりやさまざまなお知らせのチラシもあって、各地区の区長さんの労力はたいへんなものではあるだろう。

 それに対して、区長会で月2回の配布を月1回に減らして欲しいという意見が出て、次第に大きくなってきたらしい。
 毎月15日に発行される『お知らせ版』を廃止してほしいという意見や要求が、市当局にも議員のところにもたくさん寄せられるようになてきて、何人かの議員が一般質問でも取り上げた。

 そこで、市では来年4月から『お知らせ版』を廃止して、毎月1日発行の『広報くき』だけに一本化する方針を決定したらしい。

広報配布が月1回だけになると、いくつかの懸念も

 すでに市議会で正式に答弁したから、「決定」ということのようだが、いくつかの懸念は残る。

(1)現在は『広報くき』が24~26ページ、『お知らせ版』が6~8ページだが、『広報くき』だけにした場合、当然、ページ数が大幅に増えて、だいたい32ページくらいにはなると想定されている。
 実際にはもっと増えることもあるのではないか。
 とすると、区長さんが各地区の班長さんにお宅に持っていくのに、『広報くき』だけでもたいへんに重くなるわけで、これだけで逆に労力が大幅に増えるのではないか。

(2)1回にまとめるために、記事内容を減らさなければならないから、市民に知らされるべきことが知らされなくなる怖れがないか。
 行政からの市民への情報量を減らすことになるとすれば、それはそれで問題だろう。

(3)現在は、イベントなどのお知らせを、1日発行の『広報くき』と、15日の『お知らせ版』と、2回に分けて掲載しているが、すべてを『広報くき』に載せなければならなくなると、記事の締め切りが早くなって、間に合わないものも出てくるのではないか。
 間に合わなかったものは、『広報くき』には載らないで、ホームページにアップするだけで済まされてしまうのではないか。
 『広報くき』には掲載されず、ホームページで見逃したら、市民は知らないままということではちょっと困る。

(4)現在は、年4回の『市議会だより』や年6回の『衛生組合だより』『社協だより』は、各月の15日発行になっていて、いちばん厚くて重い『広報くき』の配布日とずらしている。
 しかしこれらのすべてを1日発行の『広報くき』に合わせなければならないとすると、毎月1日の配布物の量はとんでもなく増えることになるのではないか。
 その他のチラシ類やお知らせもすべてが、毎月1日の『広報くき』に合わせて配布することになるのだろうか。
 そうすると、区長さんたちが、毎月1日の配布物の仕分けや班長さん宅に配布する重量も労力も、かえってとんでもなく増えるのではないか。

(5)そうしないためには、『広報くき』以外の配布物の一部は、15日に発行・配布する体制も残しておかなければならないが、そうすると、結局は月2回配布するということに変わらなくなってしまう。
 それでは、区長さんたちの要求の趣旨に反してしまう。

 市がこれらの問題をどのように検討して決定したのか、もう少し詳しく聞いてみなければならない。

20年以上前、『広報くき』を月1回から2回に増やしたのだったが

 実は、合併前の旧久喜市で、20年以上前には『広報くき』は月1回の発行だった。
 次第に市民に知らせなければならない記事内容が増えてきて、また市民の興味を引くように読み物的な記事も増えてきて、だんだん分厚く重くなってきた。
 当然、当時も、区長さんたちの労力がたいへんだから、何とかして欲しいという意見が出てきた。
 当時、私や何人かの議員は、『県民だより』のように新聞折り込みにしてはどうかと提案したが、折込代の費用がかかるので、採用されなかった。

 それに対して、市民にきめ細かく知らせるようにした方がいいという意見もあって、、月2回に分けて『お知らせ版』を発行するようになった。
 回数は増えるが、1回の重量は減るから、区長さんたちの労力も少しは楽になるだろうという狙いもあった。
 その代わりといっては何だけれど、区長報酬や区に対する補助金も増額してきた経緯もあったと記憶している。
 そういう過去の経緯をどう検討したのか、素朴な疑問である。

『高齢化だからごみの分別はムリ』という暴論

 久喜市はこれまで久喜市・宮代の2市町のごみを処理する新ごみ処理施設の建設を計画してきた。
 ここに幸手市・杉戸町かのごみもいっしょに処理してほしいという「広域化」の申し入れがあって、清久コミセンで市民説明会が開かれた。
 参加者から、もっと早く開くべきだった、排出ガスの影響はどうなのかなどのたくさんの心配の声が出されていた中で、こんな意見が出された。

 それは、『久喜市はごみの分別回収をしているが、これからは高齢化していくので、こんなきびしい分別はむりだ、せっかく新しく焼却炉を作るなら、最新型の焼却炉で何でも燃やせるようにすべきだ』というのである。
 実は、議員の中にも同じことを言う人がいるのだが、さて、この主張をどう考えるべきか。

高齢者には分別はできないってホント?

 第1に、「高齢化すると分別はできない」というのはウソだ。
 地域社会で、高齢者が増えていくのは事実だが、たとえば高齢者=65歳になったら、あるいは「後期高齢者」=75歳になったら、とたんに分別する能力がなくなるわけではない。
 むしろ最近の高齢者は年齢を重ねても元気で地域で暮らしているのだから、ほとんどの方は判断能力や生活意欲が衰えることはないだろう。
 しかもこれまで久喜市で、市民はごみ出しのルールに従って分別とごみ減量に協力してきているのだから、高齢化しても、すでに慣れてきた分別を続けることに何らの問題もないだろう。
 もちろん一部には、病気などで判断力が弱ったり、目が見えにくくなったり、分別の意欲自体がなくなったりする人も出てくるであろうが、それは家族や地域で、まわりの人が支援すればいいのである。

 むしろ問題なのは、高齢者になるまでずっとごみ出しなんかしたこともなかった男性の方々だ。
 60歳過ぎまで“仕事一筋”でごみのことなど興味も持ってこなかった人、あるいは奥さんが病気でごみ処理ができなくなったりして、いきなりごみ出ししなければならなくなった男性の皆さんが、『分別なんて面倒だ』『分別しないで出せるようにすべきだ』と言い出すのではないか。
 実際、私の憶測であるが、市民説明会でも、議会でも、『高齢化だから分別はムリだ』と声高に叫ぶのは、こういう人たちではないかと思う。

地球環境を子らに残すのは私たちの責任

 第2に、ごみの分別なんかしないで、何でも燃やせるようにした方がいいというのは、地球環境の保全、ごみ減量、限りある資源を大切にしようという流れに逆行する。
 ごみ減量を進めるスローガンに「分ければ資源、混ぜればごみ」というのがあった。
 ごみの分別は、現代の地球社会に生きる、人類=地球市民の責務であるといって過言ではない。
 『高齢化だから』というのを言い訳にして、『分別なんて面倒なことを言わないで何でも燃やせるようにした方がいい』というのは、この地球環境を子や孫や将来の人類に残すという、私たちの責任を放棄することに他ならない。

 実際、すでに一昨年に市議会で可決した「ごみ処理基本計画」では、2014年度比で15年後には13%ごみ減量の達成を目標とし、焼却処理量の目標を10%以上の減量、最終処分量を34%以上の削減、資源化率を2.3%引き上げて34.6%にまで高めようという目標を立てて、全議員で決定している。
 私はその当時の議会で、この目標数値は低すぎる、もっと高い目標にすべきだと主張したのであったが、この目標ですら、少なくとも現在の久喜市でのごみ分別をさらに徹底しなければ実行できないであろうと思われる。
 何でも燃やせるようにしていい、あるいは、何でも燃やせる焼却炉にしようなどというのでは、議会で定めたこのごみ減量目標は達成できない。

久喜市はごみ減量のいっそうの推進を決めている

 第3に、現在の久喜市の計画では、燃やせるごみの焼却炉を処理能力日量143tと想定していて、建設費140億円と見込んでいる。
 もしも分別をしないで何でも燃やせる焼却炉にしようとすれば、おそらくは300t近い処理能力を確保しなければならないから、建設費も300億円近くかかることになる。
 そんな膨大な財政負担をして、そのツケを後世に回すなどということは、久喜市の未来の市民に対しての犯罪的行為であると言わざるを得まい。
 しかも何でも燃やせる炉にするということは、焼却灰等の最終処分場も確保しなければならないから、それだけ財政負担も増し、またそれ自体がさらに地球環境を汚染することになる。

 私たちの責任は、ごみ分別をいっそ強化して、できるだけ燃やすごみの量を減らすこと、できるだけ小さな炉を作ることでなければなるまい。